眠り小槌

 しまった!と思った時にはもう遅かった。彼女は隠し持っていた小槌で隙を狙い、コツンと僕の頭をこづいた。そして僕は意識を失った。

 「眠り小槌」というのを知っているだろうか?少なくとも小槌は知ってるよね?そう、小さな金槌みたいなモノだと思っても良いし、昔話に出てきた「打ち出の小槌」を想像しても良い。形はあれによく似ている。
最初は不眠症対策で作られた機械だったらしい。ホラ、目を覚ますには目覚まし時計がある様に、眠りたいのに眠れないときには、眠らせてくれる機械があると便利だと思ったことはないかい?普通は睡眠薬のお世話になるんだろうけど、「この眠り小槌」を使うと、例えばなかなか眠れない患者の頭をコツンとこづけば、即眠らせることができる。睡眠薬みたいに飲み過ぎたりすることもないし、副作用もない。そんなものがあったら便利だろう?

 そう、その小槌を彼女が今、僕の頭に振り降ろしたのだ。こういうものはすぐに本来の目的とは違う使われ方をされる。例えば、都合の悪い事が起こったとする。世間では「タヌキ寝入り」というのがよく使われる方法だと思うが、別に自分が眠ったふりをしなくても、相手が眠ってくれるという方法でも解決出来るわけだ。
つまり「相手を眠らせる」のが目的の様々な用途に使うことが出来るのだ。そして当然の結果として、形も当初の小槌形から、チカン対策のスタンガン形、警察向けの警棒形、へッドホン形にイヤーウィスパー形と、もう多種多様な形のものが市販されている。

 じゃあ何で彼女が僕の頭を小突いたのかって?それはもう明白。毎度毎度のテレビのチャンネル権勢いさ。たかだかそんな事でって思うだろ?でもうちなんかマシな方だと思うよ。現に今日だって夫婦ゲンカで使われて、眠らされた方がそのまま殺されたりしてるし・・・犯罪に使われるケースもずいぶん増えてきているみたいだ。いずれこれも医療用に限る、というただし書き付きになるんじゃないかな?
「ふぁーあ・・・くそう、今日も負けちゃったよ。でも明日は絶対勝つからな。」
「ふふん、そんなにうまくいくかしら?」
イヤ味な言い方をする。しかしまぁ今日のところは負けたのだから、おとなしく引き下がる事にする。おかげで寝不足とは完全に無縁だが、格好悪いことこの上ない。しかもこのところ連戦連敗。悔しくて仕方がない。好きな番組もなかなかリアルタイムでは見ることが出来ない。これはやっぱり何とかしないと・・・。
「ねえ、男の人って、こういうのにあこがれるものなの?」
堂々巡りに陥り始めていた僕の思考を現実に引き戻したのは、僕を呼ぶ彼女の声とテレビで流れる西部劇だった。どうやら、彼女が見たかった番組はもう終わったらしい。
「そうだなぁ・・・こどもの頃は結構憧れたかなぁ。」
画面ではガンマンが早撃ちを披露している。それを見た僕の脳裏に閃くものがあった。
(そうだ、これだ!)
このガンマンがやっている早撃ちのテクニックを身につければ、小槌にも応用が効くハズだ。そうすれば彼女に負けてばかりではなくなるし、ともすれば、連戦連勝も夢ではない。
(にやっ。)
にやにやしていた僕を気持ち悪そうに彼女は見ていたが、やがて関心をなくしたのか、再びテレビの方に視線を向けた。

 それから僕の特訓が始まった。小槌を片手に、拳銃よろしく早抜きを徹底的に練習し、一ケ月も経つ頃には相手と向き合った次の瞬間には小槌を抜ける様になっていた。
さらに腕に磨きをかけるため、次の一ケ月にはどんな体勢からでも早抜きが出来る様に、そしてさらには曲抜きも・・・。ここまで出来る様になれば、もう彼女に遅れを取るという事はよもやあるまい。

 そして決心から半年、未だに僕は負け続けている。何故かって?そりゃ元が西部劇だろ。つい抜く前に格好つける癖がついちゃってねぇ・・・その隙をつけこまれるんだよ。それにね、拳銃は抜いたら勝ちだけど、小槌は相手の頭を小突かないといけないからねぇ。なかなか難しいんだよ、困ったもんだ。もっとも、おかげで相変わらず寝不足とは無縁な生活を送ってるけど。
 

時間銀行

 俺の一日はiモードで休講の状態を調べることから始まる。

 

「よーし、今日は三コマ目が休講か。と言うことは、十二時から十八時までは空きだな。」
早速時間銀行にある口座にアクセス。六時間を振り込む旨、予約を入れる。これで六万円のもうけ。残高を見ると三十万円ほどになっている。そこでそのまま株式投資のサイトに接続、前から目を付けていた会社に投資する。
時間の売買が出来るようになったのはつい最近のことだ。何でもアメリカだかどこだかの偉い学者が考えた「時空対称性理論」とかいうやつの応用として発明された。難しい理屈はよくわからないが、簡単に言うと、明日は忙しいが、今日は暇である場合。よく
「あー、この時間、明日のために取っておきたいなぁ」
とか
「明日にこの時間分を追加できたらいいのになぁ」
などと思ったことはないだろうか?実はそう言うことが出来るようになったのである。とは言え、一般人が使えるような安い機械はまだまだ存在しない。何十億円もする機械でのみ実現できるようなものなのだ。
そこに目を付けたベンチャーがあった。それが「時間銀行」だ。彼らはこの機械を購入すると、個人相手に商売を始めた。特にサラリーマンは暇なときと忙しいときの差が激しい。そこで暇なときに溜めておき、忙しくなると引き出すのだ。銀行自体はその利用料を取って儲けた。
そのうち、ベンチャー企業やゲーム業界などの、時間が足りなくてどうしようもない人に、学生や主婦など暇な人々から買い取った時間を売るサービスを始めた。俺が利用しているのもこれで、一時間を一万円で買ってくれる。ちなみに銀行が売るときには一時間を一万五千円で売っているらしい。
俺はこれに目を付けた。そもそも親からの仕送りはそんなに多くないし、どうせアルバイトをしないといけないのだ。しかしアルバイトばかりになってしまっては自分の時間を作ることが出来ないので、それはそれで困る。出来る限り時給の高いバイトを探したが、怪しい店で働くか、家庭教師や塾講師を捜すか・・・前者はヤバそうだし、後者はそんな頭がない。この大学だってやっとのことで入れた俺のような奴が、一流大学受験しようなんて奴を教えられるわけがない。逆に教えられるのが関の山だ。
話がそれたが、そんなこんなでバイトを探している最中に、この時間銀行のサービスを知ったわけだ。時間あたりの稼ぎがいいので、もう既に一年半も利用している。そして溜まった金は株に投資して、少しずつ増やすことにしていた。
え?仕事もせずに金を手に入れるのは問題?労働の喜びだって?心配なく。実際に俺の提供する時間を使って仕事をしている人がいる。実は感謝のメールも届いているのだ。時間銀行の良いところは、時間を売った人の所に、時間を買った人から「何に使ったのか」などの情報が入る点である。俺の提供した時間は、これまで人気ソフトのキャラクターデザインに使われたり、有名ワープロソフトの開発時間に割り当てられたりしている。お礼のメールも次々やってくるし、そうまでして出来た製品であれば、どんなものであるかも興味がわくし、実際いくつかの製品は購入もしている。かくいう、今使っている携帯電話も、その開発時間の一部は俺が提供したものだ。だいたい俺が手伝っても余計に時間がかかるだけだ。プロの人が作った方が早く、いい物が出来るに決まっている。そんなプロに時間を提供しているのだ。
とはいえ、そろそろこのサービスを利用するのも考え直さないと行けなくなりつつある。最近聞いた話だが、このサービスをよく利用している先輩は、いくら就職活動であちこちの企業をまわっても、内定が一つも出ないらしい。景気もずいぶん回復しているので、昔ほど就職は買い手市場な訳ではない。にもかかわらず、企業から断られる同様の人がかなりの数いるらしい。
企業が言っているのはつまりこうだ。
「大学生の間に何も身に付いていない。」
確かに言われてみればそうだ。趣味に打ち込み、特殊な技能を身につけたわけでなし、資格試験を受けまくったわけでなし、バイトで得るモノがあったわけでなし・・・。
しかし俺もあと一年。たった一年で何か身に付くだろうか?俺からのアドバイスだが、ちゃんと就職しようと思うなら、決して俺の真似をしてはいけない。タイムバンクから時間を買おうにも、それには今まで受け取った以上の金がかかるのだから・・・。まったく、世の中は上手くできている。
 

パソコン

 遂に会社からパソコンを渡された。銀色をしたA4の紙くらいの大きさで、厚みは三から四センチメートルと言ったところか。詳しい人間なら「A4型ノートパソコン」で通じるらしい。会社の若い奴に訊いたら
「液晶ディスプレイが目に優しい」
とか
「場所をとらない」
とかなんとか・・・いろいろ訳のわからん用語を並べ立てられた。まぁ、最近人気の機種らしい。
そういうわけで、
「取りあえず電子メールだけでも読めるようになれ」
とか会社の上司からは言われたが、なにをどうやって良いのかがさっぱりわからない。一応「コンセントの差し込み方」や「スイッチの入れ方」から懇切丁寧に書かれた、システム管理部作成のマニュアルと首っ引きになりながら、何とか動かし始めた。のだが・・・
「えーと、ここでパスワードを入れて・・・次にメールソフトを立ち上げると・・・。ん?パスワードは名前や誕生日は入れるな?うーん・・・ま、取りあえず名前でいいや、名前で。面倒だし。で、次はメールソフトか。ん?メールソフトってどれだ?アイコンをダブルクリック?なんじゃ?この『アイコン』ってのは?」
しかしなんだな。このマウスって奴はなんでこんなに扱いにくいんだ?手首が疲れてきた。クリックとか言う動作をさせられている指も攣りそうだし。しばしマウスから手を離し、右手をぶらぶらさせる。若い奴らはこんな事をしてないのになぁ・・・何か手首が疲れないコツがあるんだろうか?明日にでも訊いてみよう。
「なになに、『アイコンとは絵文字のことである』?ああ、このマークみたいなやつか。ダブルクリックってのは、このボタンを二回押すことね。」
マウスとかいうやつの左側のボタンを二回、そっと押してみる。反応がない。もっと強く押さなければいけないのかな?と思いつつ、もう一回、今度はちょっと強めに押してみる。しかし変化がない。
「動かないじゃないか。ん?もっと速く押さないとダメなのか?『素早く』とあるな。じゃあ、こうだ!」
今度は強めに、しかも素早く押してみる。するとパソコンの中から何やら「カラカラ」という音がして、画面が切り替わった。
「なるほど。これで動くのか。」
専門用語の羅列してあるマニュアルを読め、と言われても、こちとら携帯電話の使い方もよく分からないし、それよりビデオの予約も出来ないのだ。そういう人間に
「はい、これが詳しくやさしく書いたマニュアルです」
とか言ってダブルクリックだのデスクトップだの書かれたものを渡されたって、理解できるわけがないではないか!書斎に引きこもり、他の家族をシャットアウトしてから箱を開け、パソコンをいじり始めてから四時間と二十三分。私の不満はついに爆発した。
「だいたい何だ、この横文字の羅列は!日本人なら日本語を使え!」
とりあえず罵詈雑言と放送禁止用語や差別用語、神を冒涜する言葉などを十分ほども吐き出す。
「しかしまいったなぁ・・・こんな調子じゃ、俺はクビだよ。でも若い奴に訊くのもしゃくだしなぁ・・・あの『なーんだ、おじさん、こんなこともわからないの?』っていう目が気にいらん!でも何とかしないと・・・・そうだ!」
一ヶ月後、私はシステム管理部に転籍していた。しかもみんなが私に質問をしてくる。それに自慢げに答えることがどれだけ素晴らしいか!さらには元の職場の上司までもが私を賞賛してくれている。
え?一体何をしたかって?別に特別なことは何もしていない。やったことは、とりあえず使えるようになったワープロを使い
「誰にでもわかるパソコン・マニュアル作成に関する方法」
と題する企画書を書き、「ダブルクリック」を「二回押す」などと書き換えたページサンプルと一緒に上司に提出しただけである。
これが社内で大好評。今ではおじさん族の味方、救世主として私の書いたマニュアルは大ヒットしている。出版社からも「是非出版を」と言われているらしい。
え?私自身は使えるようになったのかって?まぁ、ぼちぼちだな。何しろわからなければ、マニュアル作成用に若い奴が手取り足取り、わかりやすく教えてくれるんだから。使うべきは頭だな。
 

通勤電車にて

 私はサラリーマン。四十二才、妻子持ち。毎日一時間五十分かけて電車を二つ乗り継ぎ、出勤している。当然朝はものすごく混む。満員電車というやつだ。今日はそんな私の通勤風景をお届けしよう。
ホームに電車が入ってくる。一本やり過ごしているので私は列の一番先頭に立っている。そのため私は確実に乗れるが、後ろの方に並んでいる確実ではない人々に押されて、だんだん前へと押しやられる。それを何とかくい止めていると、ようやく電車は所定位置に止まり、扉を開けた。今日も戦いの始まりだ。
降りる人は少ない。今日も場所が少ないことにがっかりしながら、取りあえず乗り込む。イテテテ、後ろからそんなにギューギュー押すな。おい、そこの若いの。リュックは背負うな、手に持て。痛いじゃないか。あ、くそ、今日はおばさんか。昨日は若い女性が前にいて、結構「ラッキー」とか思ったのに。おばさん、化粧濃いよ。香水の匂いでむせそう。何でそんなにきついのをつけるんだ?
そう思っているうちに電車は扉を閉め、やがてゆっくりと動き出す。ようやく車内も落ち着きを取り戻す。しかし何だな、あのウォークマンは何とかならないのかね。シャカシャカ音が漏れててうるさいったらありゃしない。何で誰も注意しないんだ?それに電車が揺れるたびに押しつけられるリュックも何とかして欲しいもんだ。
お?どこかで電話が鳴ってる。あ、あそこの若い女の子か。おいおい、この混雑の中だぞ。友達とだらだら喋る電話なんか切れよ。しかも大きな声で喋りやがって。周りの人も迷惑してるじゃないか。あ、今度はあっちでどっかのサラリーマンが・・・あいつは営業か。こんなところで挨拶まわりみたいな電話はやめろって。そこで頭下げてもわかんないってば。
はー、やれやれ。そろそろ次の駅だな。そこで電話も終わるだろう。お、減速が始まった。こらこら、ちょっとは耐えろよ、そこの人。このままだと俺が倒れるだろ。イテテテ・・・こらえろって!ふぅ、何とか保ったかな?あらあらあら?鞄が持って行かれる。引っ張り寄せないと。おいおい右腕だけがあさっての方向だよ。アイタタタ。そんなにギューギュー押されたって、もう乗れないよ。ほら駅員も言ってるだろ。それよりこの体勢を何とかしないと次の駅まで片足で踏ん張るのは無理だぞ。
あーあ、結局そのままになっちゃたよ。はやく次の駅に着かないかなぁ。だんだん右足が震えてきたよ。何とか左足にチェンジできないかなぁ。だめだ、鞄があっちに行ったままでビクともしない。
次の駅に着いた!ここで大勢降りるはずだが、この体勢のままだと今日もやばいぞ。おいおいおい、俺は降りないんだってば。そんなに押すなよ鞄が・・・あ、足が電車とホームの間に落ちる!こら、俺は電車に残るんだって言ってるだろ。そっちは改札へ向かう階段じゃないか。冗談じゃない。おれはあの電車に乗るんだ。まだまだ先の駅まで行かなきゃいけないんだ。おい、人の話を聞けよ!お前らそんなに雑然と改札に向かうと・・・ほら、あそこにも困ってる人がいるじゃないか。だーかーらー、俺は電車に、あ、発車のベルが鳴ってる。頼む、電車に乗らせてくれ!これに乗らないと遅刻するんだって!あ、すみません。違います!痴漢じゃないです!あの電車に乗らないと遅刻するんです!お願い、放して。うわ、こんな時だけ協調するな。うわ、なんか球団優勝じゃあるまいし、そんな、鉄道警察まで胴上げ状態ですか?ああ、これはこれで気持ちいいもんですねぇ・・・なんて言ってる場合じゃない!だから違うんですって、勘違いなんですって!

 今日も遅刻した。会社で怒鳴られるのはいつものことだ。なんで一時間で通勤できる距離なのに二時間近くかかるかって?そんなの毎日鉄道警察まで胴上げされてたら仕方ないじゃないですか。要領が悪いって?そう言われても・・・大体みんなはどうしてあんなにすいすいと満員電車の中を行き来できるんです?慣れ?コツ?他人を気にするな、ですって?私は他人の行動を気にするから嫌がらせを受けるんですか?でもあれはみんな困ってるじゃないですか。え、困ってる奴は嫌がらせを受け、無関心な人はそのまま素通り?そんなの狂ってますよ!え、狂ってるのは私?
明日から来なくていいって、クビですか?一体私がどんな悪いことをしたと・・・は?パソコンを使って在宅勤務?すると私の日常はどこへ行っちゃうんですか?え?通勤電車のない、家から一歩も出ない新しい日常が始まるですって?それもちょっと・・・何とかなりませんか?ねぇ、部長、部長ってば!
 

タバコ

目が覚めると、そこは異世界だった。別に望んだわけではないが、その世界ではタバコを吸う者が一人もいなかった。

 

最初に異変に気がついたのは、通勤のバスを待つ列でだった。タバコを吸い始めると同時に、周りにいる人々が異様な目で俺を見ているのだ。中には昨日まで吸っていた黒縁眼鏡のおっさんまでいた。
(何が珍しいんだろう?)
そのうちバスがやってきたので、タバコを足下に捨て、足で揉み消す。周りの人々の視線が痛い。
異様さは会社に着くとさらに大きくなった。机の上にあったはずの灰皿が消えているのだ。毎日二箱は消費する俺の机には、専用の大きいな灰皿を置いてあったはずなのだが・・・。
「なぁ君、俺の灰皿知らない?」
と向かいに座っている女の子に話しかけたが、「灰皿って何ですか?」
という返事が返ってきただけだった。てっきりふざけているものだと思い、
「ほら、俺ってヘビースモーカーだろ。タバコを吸わないと調子悪いんだよ。」
「タバコって何ですか?」
その頃には周りに課員がだんだん集まってきていた。俺はからかわれているんだと思い、タバコの効用-気分が良くなるとか、血圧が下がるとか-を話した。
埒があかないので、実演しようと一本取りだし、火をつけた途端、周りにいた全員が煙たそうに咳を始め、課長は「火事だ、火を消せ」と騒ぎ出す始末。
挙げ句の果てには消防車、パトカーまで現れ、警察で事情徴収を受けることになってしまった。刑事は鑑識からのレポートを見ながらこう言った。
「つまり何だね。君はこの極めて発癌性の高い煙を常習的に吸っていると。」
「あの、吸う人はフィルターを通して害のない程度に減らしてるはずなんですけど・・・」
「いや、明らかに害になっている。しかも周囲にはフィルターを通すよりも六倍多く発ガン物質が放出されている。長年かけて相手を病死に見せようという魂胆かね?」
「だからそんなんじゃないですって。あれを吸うと気持ちが落ち着くんです。」
「毎日吸っていると言っていたね。常習性のある新種の麻薬でもあるわけだ。」
刑事はどう言ってもわかってくれなかった。 その晩は留置所に泊まることになった。何がどうなったのかさっぱりわからなかったが、無性に泣けてきた。堅いベッドはそんな気持ちを増幅するのに役立っていた。
翌日、午前中に取り調べの続きを受けた後、会社から課長が面接にきた。どうやら俺は懲戒免職になったらしい。
(たかがタバコを吸ったぐらいで・・・)
そう思いもしたが、警察の取り調べで疲れ切っていた俺の心は、以外とすんなりその言葉を受け入れた。もうどうにでもなれというのが本音だったが、この状況を脱出できるのならタバコをやめてもいいとすら思った。

「ご気分はいかがですか?」
目を覚ました医者が俺に尋ねてきた。
「まぁまぁです。でもあれだけタバコの害を並べ立てられるとちょっと辟易しますね。」
「学習用のプログラムですからね。子どもの教育とヘビースモーカーの更正を兼ねてますから、ちょっときつめの演出になってます。」
「まぁ、あんなもんだろ。アメリカでは社長がタバコを吸う会社とは取引をしないという実例も増えているようですからね。社会的リスクを覚悟してもらうにはいいんじゃないですか?」
そう、これは催眠誘導装置によるタバコ教育プログラム。どうしてもタバコをやめられない人へのサービスとしての、我が社の社内ベンチャープログラムだ。
「さて、もう一本ありますけど、こちらも見ます?」
「ああ、お願いしよう。」
俺は再びベッドに横たわった。

目が覚めると、そこは異世界だった。別に望んだわけではないが、その世界ではタバコを吸わない者が一人もいなかった。
空気はもうもうと立ち上る煙で白く濁り、人の多いところでは霧がかかったようになっている。体質的にタバコを吸えない俺としては苦痛の極みなのだが、こればかりはどうしようもない。
街頭テレビが煙の向こうで喋っていた。
「このままタバコを吸い続けると人間の寿命が縮むだけではなく、大気の温暖化によって気候変動をも引き起こす可能性が・・・」
 

夜に輝く

 星の綺麗な夜。僕は毎日外へ出て、ビルの谷間からかすかに見える天の川を見るのが好きだ。でも父さんから聞いた話だと、昔は都市では星なんか見えないくらい街灯がまぶしかったらしい。今はところどころにポツンと申し訳程度にしか街灯のあかりはない。何でこんな事になったかって?父さんから聞いた話によるとね・・・

 ある時女性に奇抜なファッションが流行り始めた。まず「茶髪」。髪を茶色に染めるんだ。なんでそんなことをするかって?印象が明るくなるっていう話だったけど、芸能人のマネをしただけじゃないかな?
そして「ガングロ」。顔を真っ黒に塗って、白や青のアイシャドウや口紅を塗るんだ。それもなんでかって?そんなのわからないよ。女性の心理は謎に満ちているからねえ。
そして遂にあのファッションが登場したんだ。そう、蛍光や夜光顔料を使った化粧品たちさ。
「それを使えばあなたは光り輝いて見えます」
って訳さ。駄洒落みたいだけど、みんなその当時は真面目だったらしい。その証拠に世界中の有名な化粧品メーカーがこぞって類似商品を作っていたそうだから。
まず最初に登場したのがアイシャドウと口紅。暗いところ、特にダンスホールやディスコみたいな照明の暗い所では結構目立つから、そういうところに出入りする女性の必須アイテムになった。次にファウンデーション。こっちは口紅なんかとは違って、わずかに発光するだけのもの。だって顔全体が光っちゃったら口紅やアイシャドウが目立たないだろ?これらを併用するとぼうっと白く光った顔とはっきり自己主張する唇と目が印象的に対比できるって訳さ。
このファッションはどういうわけだか受けた。母さんから聞いた話だと、昼間は普通だけど、夜になるとうっすら白く光るので、肌がきれいに見え、若く見られたからだって。だからあんまり化粧に興味関心のない普通の女性でも、「一度使ってみよう」という気になり、あちらこちらで大流行したんだそうだ。
するとちょっとでも他人と違うことをアピールしたくなるのが人情ってもんだろ。特に最初から使っていた人たちはそう思ったみたいだ。ファウンデーションを全身に使う人が出てきたりした時には、これが商売になると感じた石鹸やシャンプーのメーカーがこの分野に参入した。「お風呂上がりから輝いて見えます」がキャッチフレーズだったんだそうだ。
でもだんだんと問題も増えてきた。まぁ蛍光や夜光の顔料が環境に優しくないとかいうのは序の口だったらしいね。何よりも問題だったのは、これらの化粧品は「暗いところ」でないと本来の効力を発揮しないこと。今なんかと違って当時はあちこちに街灯が光っていて、世の女性のファッション心を台無しにしていたんだ。彼女たちは少しでも目立つために都市の中でも暗いところを探し始めた。またちょっと都心を離れた街灯の少ないところにも進出し始めた。自分たちをより美しく見せるために。
ところが、暗いところに光っているもんだから、路上強盗の標的になり始めた。またそれとは知らずに歩いていた老人が、ぼぅっと光る姿を幽霊と勘違いし、心臓発作を起こして死亡するという痛ましい事件も頻発するようになった。
ここに至ってメーカーも自主規制を始めたけど、海賊版が横行するだけだった。政府も禁止を検討し始めたが、法的に禁止するのは難しかったので、街灯の数を増やすことで対応した。そして熾烈な戦いが始まった。どんどん暗いところを求める若者、そしてどんどん増える街灯。一部の若者は街灯を片っ端から壊し始めたが、これには警察が対応した。相当狂乱状態だったみたいだね。
天文学者を中心とする一部の人々が街灯を増やしすぎる事に反対したにも関わらず、やがて世界中どこもかしこも光であふれるようになった。
そして破局はあっさりと訪れた。エネルギーの供給が追いつかなくなり、全世界的な停電が襲ったのだ。しかし若者も勝利者にはならなかった。何故なら化粧品を製造する工場も止まってしまい、製品が手に入らなくなったから。

 でもあれで良かったのだと僕は思う。随分長い間混乱が続いたらしいけど、その間に光に埋もれて忘れていたものをみんなが取り戻せたのだから。この星の美しさを初めとする自然の素晴らしさ、そして女性も飾り立てるだけが本当に自分を主張したり、光り輝くのではないことを知ってくれたのだから。
 

携帯電話

 ま、また聞こえる。あの携帯電話の音が・・・だ、誰か頼む。あれを止めてくれ!

 発端は些細なことだった。そう、携帯電話を購入してから一週間ほどもした頃であったろうか。ちょうど携帯電話も手に馴染んできて、
「これで俺もモバイル族の仲間入り、時代の最先端に躍り出たんだ!」
などと、男四十五才にして初めて持った携帯電話に有頂天になっていた頃だった。
「もしもし。あ、俺だけど、・・・」
「は?私は山ノ上ですが・・・おかけ間違いじゃありませんか?」
ガチャ!ツーツーツー・・・
夜中に間違い電話がかかってき始めたのだ。若者は得てして夜中に電話を掛けると知っていたが、「間違えました」ぐらいは普通言うだろ!と怒りながら毎度毎度寝床に戻る生活が続いた。もちろん中には礼儀正しく謝ってから切る者もいたので、たまにはおおらかな気持ちで眠れたのだが・・・
しかしそれだけでは済まなくなってきた。私が携帯電話を持ったことを嗅ぎつけた上司が電話を掛けてき始めた。次いで取引先からの電話が入り始めた。
「俺もそれだけモバイル族として認知され始めたのかな?」
と喜んだのもつかの間、電話の件数はどんどんとエスカレートし、会社にいようが電車の中だろうが、家でテレビを見ている最中だろうが、四六時中掛かってくるようになった。
さすがに鬱陶しくなってきたので、電車の中では留守電モードにし、取りあえず何かあったときにはメールを打つだけで対応するようにした。若者や周りの同世代が車内であるにもかかわらず大きな声でしゃべりまくっているのを苦々しく思っていたので、自分はマナーを心得ているのが確認できて良かった。
同様に夜中は電源を切る様にし、これで「またかよ」と物語っていた家族の顔も和らぐと思っていた。事実これが成功していればそうなるはずだったのだが・・・。

 ある時うちの部下がへまをした。その話は私が休みの時に発覚し、早速自宅へ電話を掛けてきた。いや、掛けたらしいのだが、私は運悪く留守だった。さらに悪いことに外出先に携帯は持って行っていたものの、携帯の電源を切っていて全く連絡が付かなかった。そのため、私を抜きにしてクレーム処理を続けざるを得ず、処理に手間取っているうちに客先から取引中止を勧告されたらしい。それを知ったのは翌日出勤したときだった。
断っておくが、この件に対して私は何も悪くはなかったのだ。しかも以前であれば携帯なんか持っていないのが当たり前だったのだから、社内の処理体制もそれを前提にしていたのに、今やいつでも連絡が付くのが当たり前みたいになってしまい、連絡の付くようにしていない方が悪い、というような雰囲気が漂いつつある。
それがあって以来、電源を切ることが出来なくなってしまった。いや、実際に切ってしまってもいいのだが、周りの雰囲気がそれを許してくれないのだ。
そしてさらに悪いことには、土日、夜中を問わず、重要な用件のみならず、ほんの些細な用件でも電話が掛かってき始めた。
「明日十時から会議だから」
という電話を夜中の三時に受けたときには、
「そんなの明日の朝言えばいいだろ!」
と怒鳴りかけてしまった。若しくはメールを出しておいてもらえればわかるじゃないか。
家族のだんだん反応も冷ややかになってきた。最初は
「うちのお父さんもやれば出来るのねぇ」
という目で見ていた妻も、今では
「電源切っときなさいよ。こううるさいんじゃ眠れやしないわ!」
と愚痴を言い出す始末。いきおい
「最近の若者はマナーがなってない!」
などと、世の年寄りが若者を評する言葉を紡ぎ出すだけ。だんだん自分が貧相になってくる気がしてしまう。
この精神的な影響は会社での仕事ぶりにも影響した。夜中に眠れないものだから寝不足でカリカリする。些細なことでも怒鳴ってしまう。精神的にしんどくなってきたある時、上司からも
「しばらく休んだら?」
と言われたが、休んでいても電話だけは掛かってくる。それがさらにストレスになる・・・・・。

 ほ、ほら、ま、まだ鳴っている。あの携帯電話の音が・・・だ、誰か頼む。頼むからあれを止めてくれ!