携帯電話

 ま、また聞こえる。あの携帯電話の音が・・・だ、誰か頼む。あれを止めてくれ!

 発端は些細なことだった。そう、携帯電話を購入してから一週間ほどもした頃であったろうか。ちょうど携帯電話も手に馴染んできて、
「これで俺もモバイル族の仲間入り、時代の最先端に躍り出たんだ!」
などと、男四十五才にして初めて持った携帯電話に有頂天になっていた頃だった。
「もしもし。あ、俺だけど、・・・」
「は?私は山ノ上ですが・・・おかけ間違いじゃありませんか?」
ガチャ!ツーツーツー・・・
夜中に間違い電話がかかってき始めたのだ。若者は得てして夜中に電話を掛けると知っていたが、「間違えました」ぐらいは普通言うだろ!と怒りながら毎度毎度寝床に戻る生活が続いた。もちろん中には礼儀正しく謝ってから切る者もいたので、たまにはおおらかな気持ちで眠れたのだが・・・
しかしそれだけでは済まなくなってきた。私が携帯電話を持ったことを嗅ぎつけた上司が電話を掛けてき始めた。次いで取引先からの電話が入り始めた。
「俺もそれだけモバイル族として認知され始めたのかな?」
と喜んだのもつかの間、電話の件数はどんどんとエスカレートし、会社にいようが電車の中だろうが、家でテレビを見ている最中だろうが、四六時中掛かってくるようになった。
さすがに鬱陶しくなってきたので、電車の中では留守電モードにし、取りあえず何かあったときにはメールを打つだけで対応するようにした。若者や周りの同世代が車内であるにもかかわらず大きな声でしゃべりまくっているのを苦々しく思っていたので、自分はマナーを心得ているのが確認できて良かった。
同様に夜中は電源を切る様にし、これで「またかよ」と物語っていた家族の顔も和らぐと思っていた。事実これが成功していればそうなるはずだったのだが・・・。

 ある時うちの部下がへまをした。その話は私が休みの時に発覚し、早速自宅へ電話を掛けてきた。いや、掛けたらしいのだが、私は運悪く留守だった。さらに悪いことに外出先に携帯は持って行っていたものの、携帯の電源を切っていて全く連絡が付かなかった。そのため、私を抜きにしてクレーム処理を続けざるを得ず、処理に手間取っているうちに客先から取引中止を勧告されたらしい。それを知ったのは翌日出勤したときだった。
断っておくが、この件に対して私は何も悪くはなかったのだ。しかも以前であれば携帯なんか持っていないのが当たり前だったのだから、社内の処理体制もそれを前提にしていたのに、今やいつでも連絡が付くのが当たり前みたいになってしまい、連絡の付くようにしていない方が悪い、というような雰囲気が漂いつつある。
それがあって以来、電源を切ることが出来なくなってしまった。いや、実際に切ってしまってもいいのだが、周りの雰囲気がそれを許してくれないのだ。
そしてさらに悪いことには、土日、夜中を問わず、重要な用件のみならず、ほんの些細な用件でも電話が掛かってき始めた。
「明日十時から会議だから」
という電話を夜中の三時に受けたときには、
「そんなの明日の朝言えばいいだろ!」
と怒鳴りかけてしまった。若しくはメールを出しておいてもらえればわかるじゃないか。
家族のだんだん反応も冷ややかになってきた。最初は
「うちのお父さんもやれば出来るのねぇ」
という目で見ていた妻も、今では
「電源切っときなさいよ。こううるさいんじゃ眠れやしないわ!」
と愚痴を言い出す始末。いきおい
「最近の若者はマナーがなってない!」
などと、世の年寄りが若者を評する言葉を紡ぎ出すだけ。だんだん自分が貧相になってくる気がしてしまう。
この精神的な影響は会社での仕事ぶりにも影響した。夜中に眠れないものだから寝不足でカリカリする。些細なことでも怒鳴ってしまう。精神的にしんどくなってきたある時、上司からも
「しばらく休んだら?」
と言われたが、休んでいても電話だけは掛かってくる。それがさらにストレスになる・・・・・。

 ほ、ほら、ま、まだ鳴っている。あの携帯電話の音が・・・だ、誰か頼む。頼むからあれを止めてくれ!