辞書を作ろう

1.はじめに
 この分科会は、いつも「百科事典を送る」とか「セサミストリートを送る」などでお茶を濁し、「これで相手と意思疎通が出来るようになりました」と言って いた意思疎通や翻訳関係が、そんなに簡単ではないのではないか?というところが出発点となった分科会である。従って、辞書のあるべき姿を追求するべく開催 されることになった(と理解している)。
以下に議論の流れを見ていこうと思う。

2.人類の言語学は役に立つのか?
 まず最初に議論となったのは「人間の言語を扱う言語学は役に立つのか?」である。
当然、相手との意志の疎通を考えるわけだから「翻訳」という二文字が頭の中にあったのは否めない。ところが、これは中間言語方式だのトランスファー方式だ のという方法論を調べておいたものの、お互いの交流が相当進んでいないと役に立たない。むしろプレコンタクトが終わり、交流が軌道に乗ってからの話になる のではないか、相手とまず交渉するに当たっては、そんなに豊富な語彙を得ることは出来ないだろうと思われ、あえなく頓挫した。
続いて出てきたのは文化人類学で行われる「基本的な共通語彙を収集する」というものだが、これも習慣や文化が違うといったレベルではなく、そもそも惑星 環境や体の構造が違う者同士では、地球上で規定されている「共通語彙」というものは何の役にも立たない事が明らかになった。つまり今現在地球上で行われて いる言語学の大系は、コンタクトを行う上ではほとんど役に立たない、ということがいきなり判明し、分科会はいきなり持ってきていた資料が役に立たない、と いう結論に達した。ここまでは10分程度。

3.プレコンタクト用辞書の構築(数学・物理学編)
 そこで切り口を変え、いつも苦労しているプレコンタクト段階で「相手に自分の意志を伝えるのに必要な概念」を抽出し、「それらを伝える手段」を考えるという内容にシフトした。
まず最初に伝えたい概念と伝えるのに使えるモノとを整理した。まずは伝わりそうなモノを以下にまとめる。

・名詞(モノとして示すことが出来る物)?
・数学
・物理量
・幾何
・肯定否定(好き嫌い)

ただし上記のものも、名詞はわかるかも知れないが、それがどれほどの役に立つのかはわからないという話になった。
「そうか、相手の惑星にはこんなものがあるのか」
程度にしか役に立たないからだ。

さて、続いて伝えたい概念を抽出するために、CJ4の時の地球人側メッセージを基に相手に伝えたい例文を考えた。なるべく簡単な物で、かつCJ4の時 に、何が何でもアヒストに伝えたかった文言をいくつか挙げてもらった。これは地球人側、アヒスト側の両方の切実だったメッセージを選んだつもりである。

1)木星軌道より内側には来ないで!(地球人側)
2)地球へ行っても良い?(アヒスト側)
3)あなたの星で一緒に住みたい(アヒスト側)

1)には位置、領域の概念、移動の概念(時間や因果関係)、否定の概念に意図(希望)、そして主客の概念が含まれていることがわかる。2)も同様に位置、 領域の概念、移動の概念(時間や因果関係)、疑問と意図、そして主客がある。3)もほぼ同様だ。つまりまとめてみると以下のようになる。

①位置・領域
②移動の概念 → 時間(因果関係)
③否定 → 答えを求めている場合あり(5W1H)
④意図(希望)
⑤主客

以上5つの概念を伝え、お互いに共通に使用することが出来れば、プレコンタクト段階での意思疎通はかなり楽になるはず、という話になったわけだ。
①、②は物理や数学の範囲で何とか片づくんじゃないか、という話でほぼ片づいた。③はただ単に肯定否定だけであれば数学の範囲だが、結局5W1Hをある 程度使えるようにする必要があるのでは?ということになった。疑問文が使えるのとそうでないのとでは、会話における幅が違ってくるからだ。とは言え、基本 的には数学・物理を中心とした方法論で何とか片が付きそうな感じである。
⑤はそれこそ自分の姿と相手の姿を使用すれば伝わりそうなものである。

4.プレコンタクト用辞書の構築(快・不快編)
 ということで、問題は④である。特に「希望する」という内容をどう伝えるのか?が争点になった。これはなかなか難しいが、方法としては「快・不快」を伝えることが出来れば良いのではないか、という意見が出た。
例えば例文の1)だと
「木星の公転軌道よりも恒星に近い領域にあなた(がた)が入ってくるのは、我々にとって不快である」
と要素に分解して記述できる。これならば「来て欲しくない」という意図が伝わるのではないか?と考えたわけである。
この調子で行くと例文の2)は
「我々が地球に行くと、あなた方は不快? YES or NO」
3)は
「我々が地球にいるのは、我々にとって快である」
などになる。

上記のように切り分ければ、①~⑤を伝える手段さえ確保し、記号による体系化を行うことによって、お互いが相手の意図を理解出来る程度まではなるのではないかと考えられるわけだ。
ちなみにちょっと話はそれるが、一つの言葉には一つだけの意味・概念のみを持たせる必要がある。これはAC1でも議論になったとおりで、一つの言葉・単語 に複数の意味を持たせるのは、人間はそのような使い方をしていてもシチュエーションによって意味を取り分けるが、異星人相手には不可能だからだ。

さて本論に戻るが、となると、あとは「快・不快」をどのようにして伝えるのか、というところに問題が集中した。これは単純に「YES・NO」ではないた め、切り分ける必要がある。また数学的手法を用いる事は出来そうにない。そこで鳥が縄張りを主張するために高い声で啼いたり、何度も短い音を発して警告し たりするという手法はどうかという提案がなされたりした。しかしこれもどういう受け取り方をされるのかがわからないため、もう少し生命にとって基本的な要 素で行う必要があるだろうということになり、以下のようなものが提案された。

・エネルギーがない、子孫が残せない、住めない環境などは「嫌」「不快」
・エネルギーがある、子孫が残せる、住める環境などは「好」「快」
・また環境の変化は「不快」など
・これらを大量に送ることにより、「好・快」「嫌・不快」の別を伝える

数を多く送るのは、相手の推理力・洞察力、要するに推論する力に期待するためである。つまり文明を築くぐらいなら、こういった能力を持ち合わせているだ ろう、ということである。ただし、「事例から一般性を見いだすような知性は一般的なのか?」という意見もあった。もしこういった能力を持たない、いわば職 人集団のような文明の場合はいくら送っても無駄かも知れないではないか、ということなのだが、それはそれで「わかった、皆まで言うな!」と理解してくれる かも知れない、という話にはなった。

5.その他
 その他議論の出たところをまとめてみると「肯定否定」の話のところで
「真偽と肯定否定は同一ではないのでは?」
という意見が出た。つまり「YES・NO」と「TRUE・FALSE」は別の概念だから、切り分ける必要があるのでは?ということだ。数学では「YES・ NO」が送れるのではなく、あくまでも数式として送ることが出来る概念は「TRUE・FALSE」であるため、その辺の詳細な詰めが今後必要になると考え られる。

また「文の構造をツリー化する」とか「文の数を絞る」なども意見として出ていた。いずれにせよ、こういったものは数学的・物理的な概念にせよ、先ほどの 「快・不快」の様な概念にせよ、何らかの通信フォーマットを構築したならば、あとはその共通基盤を使って例文をがんがん送るしかない、という流れで分科会 は終了した。

最後に参加者から出た感想を一つ。
「コンタクトって恋愛ドラマみたいなもんだな。『行ってもいい?』『来ちゃダメ!』『あなたと一緒になりたいの』ってね。」
なんともはや・・・。