第二話 銀河の生態観察(銀河)

 ある時、僕こと、大越裕一が研究室に入ると、研究室の教授である森本武彦と技官である井手純一が何やら密談をしていた。彼らは僕が立てた廊下に響く靴音に反応するかのように、あわただしくバタバタと何かを隠したようだった。それを証拠にいつもはキチンと整理されている本棚が、何やら一部だけやたらと雑然としている。
「おはようございます!何の相談ですか?」
と訊いてみたところ、二人はよくある「隠し事反応」をした。
「ああ、君か。」
「いや、何でもないんだ。」
あやしい。何かを隠している。僕はそう確信した。疑わしそうに二人を見やると、そっぽを向いて口笛なんかを吹き始める。しかもこれは「春の小川」だったりする。思わず頭の中に、モンシロチョウが菜の花畑の上を乱舞している風景が現れたが、おそらくは幻覚に違いない。その雰囲気をうち破ってまで「何をしようとしていたのか」を質問をしようかどうか、迷った。
「寝た子は起こすな」
という言葉がある。これらはこれまでの決して短くはない研究室生活から学んだことだ。
その時、本棚の中で整理されていない(おそらくは何かを隠したと思われる)部分に、スパコンのカタログがあるのに気が付いた。
(はて、学部のはこの間レンタル替えしたんじゃなかったっけ?)
そう思いながらも、僕は、よせばいいのに、ついついその辺を突っ込んでしまった。
「あれ?もうスパコン、レンタル換えの時期でしたっけ?」
「ぎくっ!」
二人の上に大きな吹き出しが見えた様な気がした。冷や汗でびっしょりになっている。僕は自分が地雷を踏んでしまったことを察知した。
今度はスパコンか。もしかして研究室で買うつもりなのか?一体何に使うんだろうか、そんなものを。
「あら、今度はスーパーコンピューターですか。」
「ぎくぎくっ!」
僕たち三人は慌てて後ろを振り向いた。そこにはチッチさんが立っていた。
「あ、いやその・・・樋口くん・・・いやぁ、何と言おうか・・・」
チッチさんはニッコリ笑ってこう言った。
「あら、あのコンピューターは学部で購入した物で、うちの研究室からは一切費用を出してないものですから、ちゃんと手続きさえ取っていただければ、別に何に使おうと気になさる必要はございませんわ。」
「え?いや、それはまぁそうなんだが・・・」
「そ、そうですよね、教授!何も気にすることなんてないですよ。君もそう思うだろ、大越君?」
井手さんは何を慌てているのか、しどろもどろになりかけながら僕に同意を求めてきた。
「はぁ・・・学部で導入するスーパーコンピューターを使う分には、何も問題ないと思いますけど・・・」
そう、共用物だし、手続きさえちゃんとしていれば問題は何もない。
「では私は仕事がありますので。」
一礼すると、チッチさんは隣の部屋へと続く扉を開け、ふと、思い出したように立ち止まって、こちらを振り向いた。
「そう言えば、隣の加藤先生から『妙に重たいプログラムが動いていて、計算がなあなか進まない』ってお伺いしましたけど、あれって・・・・・」
「ああああ・・・・ちょっと重たかったかな。後で加藤さんには謝っとくよ。」
「ええ、それなら・・それと、先月の学科の電気代が凄いことになってるみたいで、事務からいろいろ言われてるんですけど・・・」
「ぎくっ!」
その声は井手さんの方からした。振り返ると明らかに動揺している井手さんがそこにいた。
「何かやったんですか?」
僕は「自分は関係ない」事を協調するために、そう言った。だが、返事は予想を裏切るものだった。
「ああ。ほら、この間大越君に頼んだだろ?プログラム書いて動かしてって。あれだよ。」
「へっ?!そんなに電気食うものだったんですか?そういや何か、訳の分からないパッケージを組み込みましたけど・・・」
「そうそう、あれが機械を制御するパッケージだったのさ。」
「その機械って凄そうですね。」
「そりゃあもう、何しろディッシュを使った大出力の通信・・・・はっ!」
井手さんは得意そうに説明を始めたが、相手がチッチさんであることに気が付き、慌てて口をつぐんだ。当然の事ながら手遅れだったけど。
「あら、そうですの。たしか井手さん、この間『toto』で2等が当たったとか・・・」
「あ、いや・・・その・・・」
そこまで口に出したとき、井手さんも気が付いたらしい。顔も目も笑ってはいるが、チッチさんが剣呑な雰囲気を漂わせていることに。もし何か口答えしようもんなら、怒りのオーラが吹き出しただろう。
「そ、そうね。た、たまには研究室に寄付するのも悪くないかな~、なーんて・・・」
「あら。助かりますわ。それではよろしくお願いしますわね。」
そう言うと、チッチさんは仕事部屋に消えていった。

 「ふぅ。」
教授と井手さんの溜息が研究室に響いた。井手さんのはあきらめのものだが、教授のは明らかに違っていた。一体何をそんなに緊張する必要があったのだろうか?
「何をそんなに緊張していたんですか?」
二人は僕の言葉を聞いて、思わず顔を見合わせた。目と目で何やら会話をしている雰囲気だ。
(やばい。巻き込まれないうちに退散した方がいいぞ)
僕の脳裏にそんな考えが浮かんだ。
「じゃあ、僕も研究がありますんで・・・」
と部屋を出かけたその瞬間、研究室の扉が再び開き、眼鏡をかけた貧相な男が現れた。彼は一応部外者であるにも関わらず、この研究室にひっきりなしに出入りしている山田久志という新聞記者だった。
「おんやぁ、皆さんお揃いで何の相談ですかぁ?」
ふぅ、とチッチさんの時とは違う溜息をついてから、教授は山田さんに向き合った。
「なんだ、また君かね。」
「なんだ、はひどいなぁ・・・これでも教授の業績を世の中に広めようと、一所懸命仕事をしているつもりなんですけどね。」
まぁ、そう言ってしまえば確かにそうなんだろうけど・・・
「ふん、まぁいい。さて大越君。銀河はどうやって出来たか知っているかね?」
「確か、最初にあったガスの塊がジーンズ質量程度に分かれて、その中で星が誕生したと・・・」
「まぁ、正確にはジーンズ質量は銀河クラスから球状星団程度の重さまで様々だから、それらがたくさん合体して出来たんだろうと考えられている。」
「ええ、それが定説でしたよね?まぁ、そのあと銀河同士の衝突やなんかの相互作用で様々な形態のものが生まれたんですよね?」
ふっふっふ。教授はそんな風に笑った。あ、何か良からぬ事を考えているな、と思った。しかしそれが何なのかはわからない。
しかし教授のそんな笑みを遮るかのように山田さんが口を挟んだ。
「私は専門家じゃありませんから、その・・・『ジーンズ質量』とか言われてもわからないんですが、銀河中心にはブラックホールがありますよね?ありゃあ、どうやって出来たと考えてるんですか?」
笑いを中断させられた教授は一瞬不快な顔をしかけたが、山田さんの話を聞いて再び機嫌が良くなった。珍しいことだ。
「そう!そのブラックホールなんだよ山田君。大越君も良いかな?このブラックホールが、今回、私の考えた説の根幹をなす物なんだ。」
話していくうちに教授の顔が活き活きとしていく。いつもながら「子どものように無邪気な人だなぁ」という印象が強まった。
「先ほど話にあったように、銀河は水素とヘリウムを主成分とするガスが、球状星団ほどの質量に分かれて出来たと考えられる。そして面白いことに、これは銀河の中心にあるブラックホールの質量と同じだ。」
「確かに。」
「何故そうなったのか?これは球状星団一つ一つを生物で言う『細胞』と考えれば、すんなり説明が付く。つまり、単細胞である『球状星団』がいくつも合体し、多細胞生物である『銀河』へと進化したのだ。当然の事ながらそれぞれの細胞は特殊化し、意味のある器官へと変化していく。」
「つまり、教授の理論を元にすれば、ブラックホールも意味のある器官だと言うわけですか?」
メモなんぞ取りながら山田さんは話を先に進めていく。この時代になってもまだメモ帳と鉛筆を放さないという奇特な彼は、鉛筆をなめる癖も
「昔ながらのレトロな雰囲気がいいだろ」
とうそぶいて、何故未だに紙と鉛筆を使っているのかは教えてくれなかった。
「そうそう、その通り!それを確かめるべく、新しく入ったスーパーコンピューターに計算をさせていた、というわけだよ。もちろんただの多体問題を計算させていたわけではなく、この『細胞進化』とも言えるものを公式化し、多体問題に繰り込んで計算させる必要があったがね。」
なるほど、それで加藤先生から文句を言われるくらいマシンパワーを食ってたのか・・・、N体シミュレーションなんか、それだけでもメモリもCPUも占有するのに。

 そんなことを考えている間も、山田さんはジャーナリストの本分を発揮して、質問攻勢を続けている。
「で、そのブラックホールは何の意味を成しているんですか?」
「あ、僕にも質問があります。それじゃあ銀河はこのあとどうなるんですか?」
僕も一緒に質問した。すると山田さんが
「うーん、君もわかってきたねぇ。」
と言いたそうな顔していた。僕と目が合うと右手の親指を「ビッ!」と立てて見せたことからも、そのことがうかがえた。
その様子を尻目にしながら、教授は解説を始めた。
「銀河が生物ならば、お互いに意志を疎通しようと図るのではないかね?そして生物の場合、意志の交換の目的は交尾のためである場合がほとんどだ。」
「つまり・・・ブラックホールは・・・」
僕の頭の中にちょっといけない想像図が浮かんだ。でもそれはあまりにも非現実的な物だった。
「だから慌てない慌てない。ブラックホールはご存じの通り降着円盤を従え、その降着円盤が激しく変光しているのはご存じの通りだ。」
「AGNですね。」
「そう、クェーサーだってそうだろう。あれはお互いに意志疎通を図るための交信なんだよ。どんな銀河でも、まぁ我々の銀河系だって、再びAGN化する可能性があることは前世紀から指摘されてきたことだ。もちろんタイムスケールが長いから、数万年のオーダーは必要だが。」
うーむ、とうなってからあごに手を当てながら何やら考えをまとめていた山田さんが感想を口にする。
「意志疎通のために明るくなったり暗くなったりするための器官だというわけですね、銀河中心のブラックホールは。それって蛍みたいですな。」
その感想を聞いた教授は、さも嬉しそうにポンと手を打ち、
「そうそう、良いところに気が付いたね~。まさにその通りなんだよ。蛍がどうやって光っているか知ってるかね?」
僕と山田さんは思わず顔を見合わせた。僕の顔には「ここは天文学の研究室であって、生物ではないですよ」と書いてあったようだ。同じく山田さんの顔にも「俺に訊くなよ。ただの新聞記者なんだから」と書いてあった。
「何にでも興味を持つこと。これが科学者として重要なことだよ~、大越君。」
「では教授、それは私が。」
そういうと井手さんは、我々の方に向いた。
「蛍がどうやって光るかを解説するぞ。ちょっと長いがな。発光物質であるルシフェリンとルシフェラーゼがATPによって活性化されるところから始まり、そこからアデニルルシフェリンが合成される。その後このアデニルルシフェリンとルシフェラーゼがマグネシウムイオンと酸素によって反応し、アデニルオキシルルシフェリンが生成されるが、その時に発生したエネルギーの約97%が0.5~0.65ミクロンの範囲の光として放出されるんだよ。わかったかな?」
「すごい・・・・・井手さん、よくそんな事を知ってましたね。」
「いや、さっき『こんなこともあろうかと』百科事典で調べたんだ。」
・・・・・一瞬でも「凄い!」と思った自分の浅はかさを呪ったのは言うまでもない。しかも百科事典と来たもんだ。どうせいつも使っているYahooかどこかのネット辞典だろう。隣にいる山田さんは
「まぁいつものことだな」
というような顔をして、小指で耳をほじったりしている。
教授は井手さんの解説を受けて、続きを話し始めた。
「蛍はそうやって光っている。一方、銀河はブラックホールと降着円盤で光っている。」
「なるほど・・・」
山田さんは一応相づちを打った。「納得したわけではないぞ」という態度がにじみ出ている感じがする。教授はかまわず続けた。
「名付けて『Galaxy is Firefly Theory』。日本語で言うと『銀河=蛍説』。略すると『GF理論』!」
教授は酔っていた。その隣で井手さんも酔っていた。しきりにウンウンと頷きながら、目には涙も浮かべている。そんな様子を山田さんは冷ややかに、僕は唖然として眺めていた。僕の頭の中では「GF」がどうしても「ガールフレンド」の略としか考えれられず、銀河と蛍と女の子が飛び交うという、どうしようもないハチャメチャな光景が広がっていた。

 あまりの話に数分間意識が飛んでいたのかもしれない。しばらくして隣に立っていた山田さんがボソッと言った。
「まぁ・・・面白い説だとは思いますが・・・少なくともその辺のしょうもない小説よりはよっぽど面白い話です。で、それをどうやって確かめようって言うんです?証拠がなければタダのホラ話ですぜ。」
意識が戻ってきた僕もそう思った。その辺は長年科学記者をやっている山田さんの方がしっかりとした着眼点を持っている。多少イヤ味なのが玉にキズだが・・・
教授は立てた人差し指を左右に振った。
「ちっちっち」
というやつで、教授お得意のポーズだ。
「山田君、その辺も抜かりはないよ。彼らがあの明滅間隔で互いに交信しているなら、その周期を真似てやればいい。それはすでにやってある。」
「どうやってですか?」
ついつい学術的好奇心に駆られた僕は言ってしまった。これでもう逃げられなくなってしまったと気が付いたが、よくよく考えれば既に巻き添えを食っていたのだ。
「周期をフーリエ解析してみたところ、なかなか面白い結果が出てきた。どうやら数種類の信号を混ぜた形になっているらしい。」
そんなのは初耳だった。フーリエ解析の結果が、「リラクゼーション効果がある」と信じられている1/f揺らぎの形をしている、というのは二十世紀から知られている話ではあるが、そんなに意味のある信号が紛れているというのは聞いたことがない。
「でも銀河相手に見せようってんでしょ?確かアンドロメダ星雲までだって230万光年ありましたな。」
「アンドロメダ銀河だ。そう、確かに230万光年くらい離れてはいる。今信号を送っても反応が見られるのは460万年後だ。なら460万年前に送ってやればいい。」
「どうやってです?」
僕も思わず聞き返した。
再び井手さんがしゃしゃり出た。
「それだよ。実は電磁波には理論上『遅延波』と『先行波』がある。我々が普通『電波』と言っているのは『遅延波』の方だ。では『先行波』とは何か?マクスウェルの方程式を解くと、理論的には現在から過去に向かって進む波があっても良いことになっている。しかもミクロレベルでものをいうと、原子同士は常にお互いの位置を把握しているように見えるが、これだって電磁波を使っていると考えられる。」
「でも電磁波でやりとりするなら、往復の時間がタイムラグとして観測されるはずじゃあ・・・」
「だからだよ。原子はお互いの位置を確認するのにこの2つの波を上手く使っているのさ。つまり相手の位置情報を確認するのに『先行波』を使う。すると発した時刻より前に照会情報を受け取ることになる。その後自分の位置情報を『遅延波』で発信すれば、照会した方は照会を出すと同時に相手の位置情報をタイムラグなしで得られる。」
「ふーむ、なるほどねぇ・・・SFの中だけの話だと思ってましたが・・・」
山田さんも感心しているようだ。
「つまりだな、我々の知っている波の他にもう一つ、相手側から時間を逆行してくる波がないと都合が悪いんだ。もちろん検出されたワケではないがね。」
「今回の研究では井手くんに無理を言って、この『先行波』だけを発信できる送信機を開発してもらったわけだ。」
どうやってそんな装置を作ったか?という疑問は出てこなかった。井手さんならやりかねないからだ。井手さんは苦労話を蕩々と披露し始めた。
「いやぁ大変だったんですよ、教授。しかも誰にもわからないように大学のディッシュ(電波望遠鏡)に取り付け、ここからコントロール出来るようにしないといけないし、ディッシュの制御に割り込んで送信する関数とライブラリを作らないとけないし・・・」
(ちょっ、ちょっと待て!制御ライブラリ?)
僕の頭にイヤな予感がよぎった。
「あのぉ・・・井手さん。もしかしてあのプログラムって・・・」
井手さんはポン!と手を打った。
「そうそう、私だけでは手が足りなかったからね。君にも手伝ってもらったって訳さ。」
恐るべし、森本研究室!学生であっても、本人の気が付かないうちに、いつの間にやら手伝わされている。しかもわけのわからない研究を!
(今度からは油断しないように受けないと・・・あれ、じゃあ、あのプログラムももしかして・・・)
そう考えるとイヤな気分になってきた。考えるとキリがなさそうなので、考えるのをやめることにした。

 横では僕のそんな思いを余所に、山田さんが教授に対して最後とも言える肝心な質問を投げかけている。
「で、交尾をするんですか?」
「さぁ・・・そこまでは知らん。しかしアンドロメダ銀河がこの信号を受け取ったならば、何らかの行動を起こすはず。そしてそれは後退速度というか、固有運動というかの変化となって現れるはずだ。交尾するかしないかは私の知ったことではない。反応があるかどうかを見たいだけだからね。」
確かに一理ある。しかしアンドロメダ銀河の視線速度が変化したという話は全く聞いていない。メッセージ自体が不発だったのか、そもそも突拍子もないホラ話だったのか、それとも・・・・
「で、いつその反応が現れるんですか?」
「何だって?」
「いつ、反応が、現れるのか、です。だって、反応がいつ起こるのかわからないと困るでしょ?」
「そ、そう言えば教授。反応っていつ起こるんです?」
井手さんも困惑していた。どうやらそんなところまでは考えていなかったらしい。
「はて・・・そう言えば考えてなかったな。直ぐに反応が現れるなら、もうとっくに現れているはずだし・・・そうか!反応するにはそれを行うだけの反応時間がいる。蛍が行う化学反応は短いが、銀河とはそもそも寿命も違うし・・・直ぐに反応しても10年はかかるかなぁ・・・はっはっは。」
「よぉーし、10年でも100年でも待ってやろうじゃないか!ねぇ、教授!」
異様な盛り上がりを見せる二人を尻目に、僕と山田さんは部屋を出た。後ろ手に閉めた部屋の中では、いつ果てるともない盛り上がった声が続いていた。