おや、あなた見かけない顔ですね。ああ成程、今日着いたばかりですか、道理で・・・。私ですか?そうですね、もうかれこれ3週間ぐらいになるんじゃないかな。まあここでは日付けなんて関係ありませんがね。お互いこの世界へ来た者同士、どうです、一つ身の上話でもしませんか?ここでは唯一の娯楽ですよ。とてもそんな気分じゃない?じゃあ聞くだけでも聞いて下さい。
私はね、平凡な公務員だったんです。市役所の民生課に勤務していました。名前ですか、そんなものはここではどうでもいいものですよ。家族?残念ながら縁がなくてね、この年で独身なんです。
そんな生活の中で楽しみと言えば、テレビのサスペンスドラマと好きな球団の勝った記事が載ってるスポーツ新聞、それとあいつぐらいでしたなぁ。この世界へ来たぐらいだからあなたもそうだったんでしょう?やっぱりね。
あなたは何をなさってたんです?ああ、学生さんですか。人生も半ばを過ぎた私ならともかく、まだまだお若いのに・・・お気の毒です。
えーっと、どこまで話しましたっけ?ああ、娯楽までですか。年をとるとどうも物覚えが悪くて・・・。そう、あいつは私を非常に楽しませてくれました。腹の立った時にはなだめてくれましたし、悲しい時にはなぐさめてくれ、嬉しい時には更に喜ばせてもくれました。でもどうやら、そうこうしているうちにあいつの虜になってたみたいですね。朝出かける前に眺め、晩帰って来てから眺め、寝る前にもう一度眺め、一日に三度あいつを眺めるのが日課になってました。そう考えてみるとどうです、確かに私達をここへ追いやった張本人ではあるけれども、なんとなく懐かしく親しみがわいてくるでしょう。え、全然だ?まあ昨日来たばかりではね・・・・でもそのうちにそう思う様になりますよ。私を含め、ここにいる全員がそうなんですから。
しかし、とにかくあいつは素晴らしかった。その都度変わる白黒の模様は山々の様にも砂丘の様にも、更には霧深い谷の様にも見え、しかも同じ形をしたものはただの一つもない!気泡と砂を使った大きく、そして静かな脈動感、刻々と変化する風景、砂を使った最高の人工風景でしたよ。そういう意味ではあいつは正に名前の通りのものでした。
ん?また砂が降ってきたようですよ。ここでは当たり前の事でしてね。生き埋めにならないかって?大丈夫ですよ。私もここへ来た当初はそう思ったんですが、不思議な事に常に地面の上に立っていることが出来て、決して埋まることはないんです。どうやら砂の奴は我々の体をすり抜けるみたいでしてね。まあ気味悪がるのも無理はありませんが・・・そう、すぐに慣れますよ。
話の続きをしようって?そうですね、確かいつもあいつを眺めていたところまででしたね。どうも最近物忘れがひどくて・・・。まあ、そうこうしているうちに、私は三日間程出張に出かける事になりまして・・・ええ、そうなんです。行きがけにいつも通りあいつを眺め、「行って来るよ」と声をかけてから出かけたんですが・・・・・結局その日は帰らない、そして次の日も帰って来ない。おそらく見捨てられたと思ったんでしょうね。無事仕事を終えて家に帰ってみると、あなたもわかるでしょう、ドアを開けると中は一面灰色なんです。恐る恐る入ってみると、何やら一つだけ光っているものがある。そう、よく見るとあいつだったんです。何というか、私を恨むような感じでじぃーっと見ているみたいなんです。一応いつも通り「ただいま」と声をかけても変化はなし。薄気味悪くなって思わず声をあげかけた途端、そう!そうですよ、足下がいきなり消えてしまったみたいに・・・気が付いたらこの世界でした。おそらくあいつの世界に取り込まれてしまったんでしょうね。それからは・・・・・そうですね、別に言う必要もないでしょう。あなたもこれから経験するんですから・・・・・。
ここから出ることは出来ないかって?さあ、今まで出て行けた人は一人もいないと思いますよ。でもね、時々行方不明になる人がいるらしいんですよ。結構古参の人達らしいんですがね。
その話が出ると皆は、怒りがおさまったので帰してもらったんだと希望を持ちますがね、中には単にこの世界は広いからどこかで彷徨っているんだって言う人もいましてね。ここでは腹も減らないから死んじゃあいないでしょうが。しかしその中でもね、ほら、あそこに座っているあの男。彼に言わせりゃ、一定期間この世界にいた人間は砂雨の時に砂に同化するんだってことです。この世界へ来る事はそれ自体、今までいた世界からの片道切符で、ここに来てしまえば残りの人生なんて・・・・・はっきり言えば死か消滅への片道切符らしいですよ。
でもね、人間てのは希望を持ちたがるもので、彼はかなりの反感をかってますよ。あなたもですか?まあまあ、そう怒らないで、何と言っても別に証拠はありませんし・・・。
この辺で私の話は終わりです。さあ、今度はあなたの話を・・・そうですか、まだ話したくありませんか。ま、いいでしょう。そのうち聞かせて下さい。
おやぁ、それはそうと、あなたの後輩がもうやって来たようですよ。さあ皆さん!次は誰が身の上話をしますか?え?楽しみは後にとっておきたいって?そうですか、結局は一緒なのになあ。それでは私からしましょうか。何しろここでは唯一の娯楽なんですから・・・・・・・