テレパシーなんて無理だよ

 前回は脳移植の話をしたので、今回はそもそもコミュニケーションというのはものすごく難しいという話を。人間同士の言語の翻訳だってかなり難しいし、異星人と会話するなんてたぶん無理。
 もうちょっと言うとテレパシーなんて更に輪を掛けて難しいという話です。

●人間の「聞こえた」とは

 そもそもですね、人間の脳が相手の話を理解する手順を知っておく必要があります。例えばAさん、Bさんの2人の人がいて会話をしているとします。AさんからBさんに話が伝わるというのは、次のような手順を介して行われます。

 1)Aさんの伝えたいことが脳内電流の流れとして構成される。
 2)脳がそれを言葉として発声できるよう、持っている語彙を元に言語化(エンコード)される。
 3)言語化された内容を元に喉が振動して音を発する。
 4)Aさんの喉から発せられた音が空気の振動としてBさんの耳に到達する。
 5)Bさんの耳にある鼓膜が振動し、奥にまで伝えられた振動を有毛細胞を使って分析する。
 6)分析された信号が脳に伝達し、言語化された内容をBさんが持っている語彙に対照(デコード)される。
 7)Bさんの脳内電流の流れとして構成される。

 ざっくり説明するとこの様な手順になるわけです。ですからテレパシーというのは1から直接7を行う行為と言えるわけです。でも問題なのは、脳の電流をどの様に操作すれば1の内容を7に置き換えができるのかわからないという点です。AさんとBさんでは脳の構造が異なっていますので、例え同じ語彙であったとしても、同じ部位の同じ場所に同じ形の脳神経ネットワークが存在するかはわかりません。ですからどこの電流をどのように活性化すれば良いかはわからないのです。

●言語のエンコードとデコード

 では2から6へとショートカットできれば良いかというと、それもなかなかに難しいわけです。そもそもですね、同じ言語を話しているのでなければ、このショートカットは無理です。例えば全く日本語を知らない外国人に対して、いくら丁寧な日本語で話しかけても内容を理解してもらうのは無理です。エンコードやデコードに利用される語彙のセットがまったく異なるからです。

 同じ言語を話していれば大丈夫かというと、これもアヤシイ。例えば同じ日本語を話しているとしても、語彙量が異なると、エンコードとデコードが一致しないのです。例を挙げると、エンコード側が四字熟語や慣用句を詳しく知っている場合、これらを使って自分の頭の中にあるイメージを言語化すると考えられます。一方、デコード側がまったく四字熟語や慣用句に明るくない場合、言語化されたイメージを聴き取れたとしても、それを再度イメージに変換できるかと言われるとかなりアヤシイです。なぜなら四字熟語や慣用句で説明されても、その意味を知らないので。
 これをもう少し別の例で紹介すると、一時期の「意識高い系」と呼ばれる人たちがやたらとカタカナ言葉を使って話している内容を、周りの人が「この人、日本語喋ってるんだよね?」と感じたというのがありましたよね。あれです。

「今日のアジェンダをディスカッションするにあたり、インセンティブがどの様にコンシャスネスをエンパワーするかにフォーカスしよう。」

 こんな感じです。日本語を話しているからといって、持っている語彙が一致していなければ、共通認識は生まれません。

 では語彙まで一致していれば大丈夫かというと、それでも少し問題が残ります。それは生まれてからの経験に根ざした差です。
 筆者は大学で講義をする際に、最初の講義で次の質問をします。

「『雪』と聞いて、最初に浮かんだ言葉を3つ書きなさい」

 これですね、学生からは「雪遊び」「かまくら」「雪合戦」「スキー」「札幌」などの言葉が出て来ます。もちろん「白い」「冷たい」などもあるのですが、どちらかというと遊びに関する言葉が多い感じです。ちなみにほとんど関西出身者ですが、約40人の学生で3つともイメージが一致したのは2人だけでした。つまり「雪」に関するイメージで何かをする場合、イメージの共有をしなければ、まったく異なるシーンを頭の中に浮かべる可能性があるということを意味しています。
 さらに富山出身の知り合いに同じ質問をすると「重い」「しんどい」「飽きる」の3つを出されました。毎日2回の雪かきが必要だそうで、雪は重い、雪かきはしんどい、そして毎日やってると飽きるからのイメージだそうな。

 そうすると、同じ日本人であっても生まれ育った環境によっては、語彙から連想されるイメージが異なる事を示しているわけです。当然、宗教などが絡んでくると、様々なところで文化が異なるため、日本人であれば一致したイメージを持っているなどというのは幻想だということがわかるでしょう。
 そのため、他の言語を母語としている人々とイメージを共有しながら言葉を翻訳するというのは、かなり難しいことがわかります。ニュアンス変換という部分なのですが、単純に辞書に載っているとおりに単語を置き換えて直訳しただけでは、全く意図は伝わらないということです。
 こんな状態で意思疎通などできるとは到底思えません。「テレパシーだったら異星人とも意思疎通ができる」などというのは寝言でしかありません。そもそも同じ地球人類同士でもテレパシーで意思疎通ができるなどというのは不可能事に近いのです。

 ちなみにこの辺の話は2003年11月に開催された「CONTACT Japan 5」にて「辞書を作ろう」という分科会を主催しまして、その際にいろいろと話し合った内容も参考にしています。

●通信のエンコードとデコード

 これまでの話で実のところ、自分の持つイメージを言語化して送るというのはかなり難しいということがわかると思います。ここでテレパシーを使わないにしても、異星人との通信について考えると、更に難しい点が出て来ます。それは、どうやって情報をデータ化して送るか、という部分です。
 まず地球上での通信を例に挙げましょう。ラジオのAMとかFMというのは聞いたことがあると思います。これはAM変調、FM変調をそれぞれ意味しています。AM変調とは、ある信号を送る際に同じ周波数を使い、波の振幅を変化させることで情報をエンコードする方法です。
 一方、FM変調というのはある周波数を中心周波数とし、信号は周波数を変化させて送る形でエンコードしています。つまり、AM変調とFM変調ではエンコードの方法が異なるということです。ということは、AM変調でエンコードされて送られてきた信号をFM変調でデコードをしてしまうと、ただのノイズにしかならないことを意味しています。逆も又しかりです。変調の種類は上記の2種類以外にもデジタル放送で利用されているOFDM変調など、かなりの種類があります。

 それでも地球上では信号をどの様にエンコードしたのかを知っている状態ですから、デコードして信号を元に戻すのは容易いことです。しかし異星人に信号を送る場合はどうでしょう。こちらがどの様にしてエンコードしたのかを伝える方法はありません。ですからきっちりとデコードしてもらえるかどうかはわかりません。
 これはSETIで受信する電波についても言えることです。近年は電波通信のみならず、可視光レーザー通信の可能性も考え、電波望遠鏡で行われているSETI以外に、可視光望遠鏡を利用したOptical SETI(OSETI)も行われています。ですが、そもそも信号を受信できたとしても、どうやってエンコードされたのかを知ることができなければ、デコードのしようがありません。

●言語には暗黙の了解が多すぎる

 もちろんエンコード方法を何らかの方法で知ることができたとしても、そもそも共通語彙などあるでしょうか?できると思うのであれば、イルカのように泳ぐ生物に「歩く」と「走る」の違いを説明できますか?「移動速度の違いで説明できる」というのでは考えが足りていません。大人の早足で歩く速度と、小さい子どもが走る速度は同じくらいになる場合があります。
 大人でも運動不足の人が走る速さと、競歩の選手の歩く速度は同じくらいになりますよね。単純な移動速度だけで「歩く」と「走る」の違いを説明するのは無理です。このように、人間はこれまで生きてきた中で無意識のうちに認識を作りあげているものがたくさんあります。これが語彙のイメージにも結びついているわけですから、これらを「歩く」「走る」という概念を持っていない生命体に説明できるくらいにまで整理しない限り、言葉を説明できたことにはなりません。
 ですからここでもう一度言います。人類はどの様な言語であっても、自分たちの持っている語彙や単語の意味を説明できる状態になっていません。生まれ育った経験の中で暗黙の了解になっている部分があちらこちらにあり、その語彙を知らない知的生命体に我々が使っている言葉の違いを説明できるほどは整理できていません。そのため、もしテレパシーなどがあっても、自分たちのイメージを言葉として伝えることは不可能です。

●もちろん他にも障害はある

 他にも障害はあります。先に紹介した「CONTACT Japan 5」では「色や音を伝える方法を考える」という分科会があり、人間の場合は意思伝達の手法が視覚と聴覚に依っているが、もし音を使わずに香り(化学物質の伝搬)で意思疎通をする生物が相手だった場合、どの様にして音の概念を伝えるのか?なども話題になりました。また地球はG型恒星の周りを公転しているため、我々が可視光線と呼ぶ波長の電磁波を主に放出しています。ですから視覚もこの波長域に合わせて発達しましたが、G型恒星よりも数の多いK型やM型恒星では赤から赤外線を多く放出しますから、視神経もそちらの波長に対応しているはずです。すると、我々が光の三原色で観ている世界を説明するのはなかなか難しい。もちろん写真のイメージを見せること自体は可能かも知れませんが、同じ光景として見てはもらえません。
 逆に香りや味という化学物質をメインとしてコミュニケーション手段としている場合は、梶尾真治氏の「地球はプレインヨーグルト」の世界をガチでやらないといけません。それテレパシーで伝えられるとは到底思えません。

 ですからもしテレパシーを可能とするなら、自分たちの持っているイメージを、その文化的背景まで含めて説明できる状態にし、それを異なる文化で育った異なる構造の脳を持つ人の脳内電流に干渉して電位変動を引き起こす必要があります。しかも人物毎に脳細胞の結合が異なりますので、同じイメージを伝えるにしても、異なる人物には別の電位変動を引き起こさなければなりません。
 異星人が相手ともなると、そもそも基本のコミュニケーション手段すら違う相手に合わせる形で自分たちの世界を変換し、その上で脳があればですが、脳内電流に干渉して……という手順が必要です。そんなことができるとは到底思えないので、テレパシーで意思や意図を伝えるのは無理だというのが、このコラムでの結論です。