夜のとばりが降りる頃。吹きすさぶ寒風をものともせず、次々と人が集まってくる。大阪ミナミの繁華街、というよりは電気街として知られる日本橋から歩いて数分の場所にある、今宮戎。新年あけての一月十日は「十日戎」として知られている。要は一種のお祭りだ。
由香里は会社の同僚である山本とともに、社長命令でここにやって来ていた。この不況の中、
「今年こそ上場を!」
との意気込みにかける社長は、もう神様でも何でも、使えるものはとことんまで使い尽くすつもりらしい。近畿県内の別の神社やお寺にも、山田や玉置といった社員達が派遣されていた。
「でも凄い人ですねぇ。やっぱり不況だからかなぁ?」
「たぶんね。」
そんな他愛もない話をしながらお参りを済ませ、札を買う。そしてふと周りを見回したときに気が付いたのは、そんな不況に負けまいと一生懸命なのは、参拝に来ている自分たちのような人ばかりではなく、露店を出している人たちもであることに気が付いた。そこかしこに
「金魚すくい」
「ベビーカステラ」
「お好み焼き、焼きそば」
などの看板が見える。
そのおいしそうな香りにもちょっとつられはしたが、その中でも由香里が最も気になったのは
「さめつり」
と書かれた看板を掲げる露店であった。それはその他の露店とは異なる、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
「山本さん。あの『さめつり』って看板、なんだと思います?」
疑問に思った由香里は隣をふらふらと食べ物の匂いにつられながら歩いている山本に尋ねた。彼はどうやらいつものようにラーメン屋がないか探していたらしい。
「え?ああ、あれ?ヨーヨー釣りみたいにな、鮫を釣るねん。」
「鮫ですか?!」
「あ、鮫言うてもおもちゃやで。いくらなんでも本物なんか危ないから・・・」
そこまで言ったとき、その露店の方から
「ギャーァァァァァ・・・・・」
という断末魔の悲鳴が聞こえてきた。説明していた山本の口がぴたっと止まる。何となくいやーな予感がしたような気がした。二人は首をギギギィという音がたっているんじゃないかというくらいゆっくりと、そしてぎこちなく回してその「さめつり」と書かれた露店の方を見た。
悲鳴はもう聞こえてこなかったが、そこには見覚えのある人物が一人立っていた。同じ会社の田村だ。
「あれ?あれ田村さんとちゃう?」
「あ、ホンマや。確か別の所に行ってたはずやんなぁ・・・」
そう、他の神社に派遣されているはずの田村が何故かそこにいたのだ。そして大きな銛を構えている。どうやら「さめつり」の順番待ちをしているらしい。
「山本さん。あの銛で釣るんですか?」
先ほどの山本の話とはあまりにも違うその田村の準備姿に、思わず由香里は尋ねた。どうやら山本も戸惑っているらしい。どうやら彼が思い描いてた「さめつり」とも違うようだ。
やがて田村が入っていった。中から激しく水がはねる音と田村の
「おりゃ!」
とか
「とぅ!」
とか
「こなくそ!」
とかいう気合いのこもった言葉が聞こえてくる。どうやら何かと闘う必要がある「さめつり」らしい。山本は既に腰が引けているようだったが、由香里は逆に闘志をそそられていた。おもむろに山本に向かって言った。
「山本さん、やりませんか!」
「い、いや、だってあれはどうも・・・その・・・いやさすがにちょっと・・・」
冷や汗が山本の顔全体に吹き出す。唇は少し青くなっているようにも見える。二人とも何が中で行われているのかは完全に想像がついていた。が口に出すのは何となく憚られた。二人の対応の違いは、ただ単に性格的な差でしかない。
「山本さん、私はやりますね。だって二百円ですよ。」
山本は何も言わなかった。二百円が命取りになると言っても、こうなった由香里は聞かないであろう事を知っていた。彼女はそういう女性だ。
そういうやりとりをして、由香里が二百円を入り口にいた黒縁眼鏡をかけた男性に渡したたとき、店の奥からひときわ盛大な水しぶきと共に何かが飛び出してきた。よく見てみると、それは腰まで大きなホオジロザメに食いつかれて血を流している田村だった。
「痛い、痛い」
と騒いでいるうちに、彼はサメに飲み込まれてしまった。サメは彼を飲み込むと再び店の奥に戻っていったが、その時
「ポリンキー ポリンキー・・・・・」
というスナック菓子のメロディがどこからともなく流れてきた。発信元を探してみると、さきほどまでサメのいたところに田村の携帯電話が落ちていた。
「田村さ~ん、携帯鳴ってるよ~。」
山本が誰に言うともなしに、うつろな声でつぶやいた。どうやらさっきのシーンがあまりにもショックだったらしい。そのショックは他の順番待ちをしていた連中も同じだったらしい。確かに悲鳴を聞いてはいたが、まさか本物とは思ってもいなかったのだろう。USJのジョーズだって作り物だからみんな見に行くのであって、本物に襲われるのなら行列してまで見に行こうとは思わないだろう。
しかしそれが由香里の心に火を付けた。闘志が湧いてきた。その目は
「あれは私の獲物よ!」
と物語っていた。彼女はやっぱりそういう女性だった。尻込みする他の客を押しのけて、片手に銛、片手に山本の腕を掴んでずかずかと中に入っていった。今の光景を見た後では、誰もその順番抜かしを攻める者はいなかった。
中は意外と明るかった。目の前には二十五メートルプールのような空間があり、その中を黒く大きいものが泳いでいる。露店のどこにそんな広さがあったのかはわからないが、もっと暗い雰囲気を想像していた由香里はちょっとがっかりした。しかしそれもつかの間でしかなかった。由香里の右手側から突如水しぶきと共にあのサメが飛び出してきた。由香里はあわててワンステップ後ろに下がると、その勢いのまま銛を突き刺した。
「はずしたかっ!」
角度が浅かったのか、鮫の肌に銛ははじかれ、獲物はそのまま遠ざかっていった。しかしそれも次の攻撃に向けて体勢を整えるためにすぎないことを由香里は肌で感じ取っていた。
第2撃も不発だった。お互いに全く傷を負わすことが出来ずにいる。由香里は「次は外さないぞ」とばかりに銛を構えて仁王立ちになり、鮫が移動するのを見ている。その隣で山本は「さめつりっていうのはね、もーたーで動くおもちゃのさめを・・・」と十分ほど前、由香里に説明していたセリフをブツブツとつぶやいていた。どうやら現実逃避に入ってしまったらしい。
そんな山本を後目に、第三撃の準備を整えた鮫を由香里は迎え撃つために銛を構え直した。二撃目の時に裂けたスカートからすらりと伸びた足も美しく見える。長い髪を振り乱したその姿は、ギリシア神話のアテナ女神もかくやというところだ。その由香里に田村を飲み込んだ鮫は再び襲いかかってきた。水面を巨大な尾びれで叩いてプールから飛び上がり、上方から一気に由香里めがけて逆落とし攻撃をかけてくる。由香里はひるまずわずかに横移動して鮫の歯の直撃を避け、その目をめがけて銛を突き立てた。銛は寸分違わず鮫の左目を貫く。その痛みに怒り狂ったのか、鮫はその場で尾びれを始め、体を大きくばたつかせ、しならせて暴れた。それをよけようとした由香里は足を滑らせて体勢を崩したところを鮫の歯にひっかけられ、上着を胸から左腕にかけて引き裂かれた。左の二の腕からは少し血もにじんでいる。さらに悪いことには続く尾びれの攻撃で足を引っかけられて転倒した際に、鮫に突き刺した銛を手放してしまった。
鮫は何とかしてプールに戻り、怒りもあらわに再び攻撃態勢を整えようとしていた。由香里は左腕を押さえながら周りを見渡し、そこに山本が持っていたものらしい銛が落ちているのを見つけた。しかしとりあえずそれを拾いはしたものの、床にたたきつけられたダメージが抜けきらず、次の攻撃を敏捷に避けられるかどうかは微妙なところだった。
「何とか鮫に隙を作らせないと・・・」
彼女は何か役に立ちそうなものを探して視線を走らせた。そして見つけた。
(よし!)
そう思って彼女は鮫の動きを見ながらそのもののところへゆっくりと移動した。鮫の方も右目だけで彼女の動きを追いかけ、攻撃の隙をうかがっているようだった。どうも鮫も彼女と同じく、次が最後の攻撃になることを感じ取っているらしい。
彼女がその場所にたどり着いたとき、鮫は一気に攻撃してきた。再び上方からの逆落としだ。彼女はそのものを鮫の方に押しだし、攻撃を避けた。そのものはまだブツブツと何か言っていたが、立派に楯の役割だけは果たした。由香里はそれによって出来た隙を逃さず、今度は右目に銛を突き立てた。そして素早く引き抜くともう一度、今度はより深く目の部分に突き刺した。
鮫はしばらくのたうち、暴れていたが、だんだんとその勢いは弱くなり、やがてぱったりと動かなくなった。
「やったーっ!」
彼女は右のこぶしを上に突き上げ、勝利のポーズを取った。店の外にいた他の客や黒縁めがねの店主が入ってきてその様子を見、盛大な拍手で彼女の勝利を祝った。彼女は困難を克服し、見事に乗り越えたのだ。衣装を引き裂かれ、腕から血を流しながらも勝利のポーズを取るその姿は、周りの人からすると女神のように見えたことだろう。「民衆を先導する自由の女神」にも似たその姿は多くの人々に感動を与えたのだ。
その日、由香里は今宮戎のヒロインとなった。
やがて彼女は会社を辞め、芸能界にデビューした。田村と山本は一命を取り留め、今も
「今年こそ株式上場を!」
と叫ぶ社長と頑張っていると言うことだ。