色彩

 「あら?」
それはキンモクセイの香りのする、とある秋の土曜日の朝の事でした。いつものように北海道バターと好物のブルーベリージャムを塗った6枚切りの食パンをかじっていた私の目の前、そう、距離にすればほんの二、三十センチ前に飾ってある、確か今年の九月の終わりに、「部屋の雰囲気を変えようかしらん」と思って買ってきた観用植物。なんていう名前だったかは思い出せないんだけど、結構高かったその葉が斑入りになっていました。つまり緑の葉っぱのところどころが白くなっているわけ。私は不思議に思い、首をかしげましたが、大学で講義もありますし、あまり気にせず、「帰ってから考えよう」程度に思って、準備もそこそこに家を飛び出しました。あ、もちろん鍵はしっかりとかけましたけどね。
エレベーターに乗って一階めで降りると、隣の部屋に住むおばさんと、反対側に2つ隔てた部屋の若奥さんとが、おそらくは子どもを幼稚園に送り出してきた帰りなのでしょうが、立ち話をしていた。
「そうなんですよ、うちの貴志ったらまたジュースをこぼしちゃって・・・・・あの子だけなのかしら?」
「いいえ、そんな事はありませんわよ。うちももう三人目ですけど、あの子もやっぱり同じ事をしましたもの。ほんっとに行儀が悪くて・・・・・。上の二人もそうだったけど、子どもっていうのはどうしてああなんでしょうねぇ。」
(あなたも含め、みんなそうよ)
そんな他愛のない会話に、心の中で反応しながら、その横をすり抜け、愛用の赤い自転車に乗って、ほんの数分のところにある大学までいったのです。(下宿生は楽ね、程度に思って)

 「あれ、遅かったんじゃない?どうしたのかと思ったよ。」
大学に着いたのは始業のベルがやかましく鳴り響いている真っ最中でした。いつもの如く、教授はきっちり十分遅れて来るようで、まだ木製の教壇上には、その姿はありません。学生の方も慣れたもので、当然それに合わせて登校して来るので、(来る人間は、ですけど)現在百人以上入る広い講義室にいるのは、私といつも早めに来ている友人の景子、その他数人だけで、あとは放課後の様にしーんと静まりかえっています。そうこうしている内に、時間は九時三分、このガランとした雰囲気が人の騒然さに埋め尽くされる五分強。でも何かそこにはいつもと違うものが漂っていました。その原因に最初に気が付いたのは景子でした。
「ねぇ、彩とおんなじマンションに住んでる彼女、今日まだ見ないね。」
そうでした。私と同じマンションの同じ階に住む、早朝組の一人の橘友子という女の子がまだ来ていませんでした。彼女とは近所に住み、同じ大学に通い、いくつか同じ講義を受講し、さらに早朝組である者同士、時々帰り道や買い物を一緒にする事がありました。とは言え、どちらかというと彼女は内気な面が強く、友人はあまり多くない方だと思います。
「ねぇ、そう言えばさぁ、あの娘これが出来たらしいんだけど、知ってる?」
と、景子は左手の小指を立ててみせました。
「何々?景子が騒ぐくらい格好の良い男なわけ?」
「そっ!何とあなたも私も、みぃーんながご執心の和広氏。」
その名を聞いた途端、私の頭にテレビでよく出て来る十トンハンマーでぶん殴られた様な衝撃がはしりました。
「えーっ!彼、友子とつきあってたのぉーっ?!し、知らなかった・・・・・」
「俺がどうしたって?」
突然後ろから湧いて出たこの声の持ち主を求めて、振り返ってみると、誰あろう、当の本人がそこにつっ立っていました。
サッカー部のエース・ストライカー、身長一八四センチ、体重六八キロ、黒髪、黒瞳、書道二段、算盤一級、右肩甲骨の下にカシオペア型の五つのホクロあり、の美形で親切丁寧を絵に描いた様な彼を慕う女の子は数知れず。
「和広君て、この講義取ってたっけ?」
あわてた私と景子はそうハーモニーを奏で(?)てその場を取り繕いました。なんてちんぷんかんぷんな事を言ってしまったんだと、一瞬後悔で頭がわやになりました。どうやら隣の景子も同様だと、顔こそ見えないけど、思いました。が、彼の反応はもっとひどく、私達は冗談で言ったつもりだったのに、真剣に考え込み、あげくの果てに、
「いや、実は取ってたんだけど、出てなかったから・・・どっちでもいいからノート貸してくんない?」
ときたもんでした。あ、あのねぇ・・・・・・あんたには友子がいるんでしょっっっ!とは決して言えないシャイな私でした。
でも景子は違った。そもそも私なんかとは
一 心臓の強さが違う。
二 性格の悪さも違う。
三 頭の悪さも違う。
四 顔の悪さも・・・いてっ!
(うーむ流石は景子、私が何考えてるか見通しているわ)
和広君の方に体を向けたまま私の頭を張り倒した景子に、しきりに感心しながら二人の話を聞いてみると、
「あーら、和広君には”と・も・こ”という素敵な彼女がいるじゃございませんか。私たちの様な顔も性格も悪い者共を相手にしていてはいけませんわ。ね、彩。」
などという事をいけしゃあしゃあとのたまわっている。しかし彼の方もさるもの、ひっかくもの、ちゃんとこの鋭い突っ込みに対して切り返しました。
「いやあ、本当にそうかも知れないね。彼女にもよく言われるんだ、友達を選んで付き合ってねって。」
今度は景子が、開いた口が閉まらない状態に陥った。
(このままいつまでボケとツッコミ合戦が続くのかしら?こんな時に限ってあの教授休講だなんて言いだすんだから・・・)
そう思っていたら、案の定直後に同じ専攻の男の子が講義室の扉をガラリと音をたてて開け、
「休講だぞぉ-っ、休講!おい和広、茶店行こうぜ、茶店。」
とズカズカと入ってきてのたまいました。
「やっぱり・・・・」
思っていた事が的中した私がボソリと独り言を言うと、その言葉を聞きつけた地獄耳の景子が、何やら非難がましい目でこちらを見ているのが目につきました。それを見て
(しまった!)
と思いましたが、最早時既に遅し、彼女の機関銃の様に矢つぎ早に発せられる非難の攻撃に退路を断たれた私の姿を、その時講義室にいた者は見ることが出来たのでした。
「あんたねぇ、休講だってわかってたんなら、何でもっと早くそう言わないのよ!大体ねぇ、あんたってば・・・・・・・・うんぬんかんぬん・・・・・・・・わかる?つまりね、私が言ってるのは決して和広君のことじゃなくて・・・・・・あーたらこーたら・・・・・何と大根一本が何円したと思う?あの値段ったら絶対信じられないわよ。それというのも・・・・」
もう既に当初と大きく論点のずれてしまった彼女の話を馬耳東風にしながら、彼女の話が落ち着くのを待っていると、十分ほども経った頃でしょうか、遂に舌の回転ペースが落ちてきて、ものの数分もしないうちに停止しました。
「あ、あのさぁ、ぜいぜい、普通どっかで止めない?」
「うん、止めない。」
私はそうたった一言だけ言いましたが、さすがに景子のぜいぜいいっている姿を見ると、何か付け足しの言葉でもかけてやろうか、という心境に陥りました。
「だってさ、景子のあれって話の腰を折っちゃうと余計長くなるしさ、大体休講じゃないかなって思ったのも講義前にああいう事がある時はよく休講になるから、『やっぱり』って言っただけで・・・わかる?」
「はいはい、わかったわかった。」
それは何の変哲もない大学の朝(こんな事はよくある事)でした。

 翌日、友子孃はまたお休みでした。二日も連続して、しかも原因もわからず彼女が休むのは、私や景子が知る限りにおいて、これが初めてでした。
そしてその日の昼休み、私と景子は外に食べに行こうとしていた和広君を強引に捕まえ、景子いわく「友子お見舞い大作戦」の相談をしていました。
「ねぇ、彼女今日も来ないみたいね。風邪でもひいたのかな?後でお見舞いでも行こうよ。」
「うん、そうね。じゃあさ、何か買って行った方がいいわね。フルーツだと俗っぽいし、ケーキもなんだしね・・・うーん」
「和広君も当然行くでしょ?(その為に捕まえたんだから)彼女何が好物だっけ?」
「え?今何か言った?」
彼は何やらぼうっとしていたのか、私達の話を聞いていなかったようでした。
「何をぼぉっとしてるの?あなたの彼女でしょ?心配しないの?」
彼は何やら明らかに動揺した仕種を見せ、慌てて取り繕う様に言葉を吐き出し・・・そう、まさにそういう形容がぴったし来るような感じで言いました。
「ああ、あいつね・・・そ、そうそう、実は今実家の方に里帰りしてるんだ。何かあったらしくて・・・はっはっは。」
「何だ、和広君なんだかんだ言っても知ってるんじゃ・・・ちょっと、どうしてそんな事思い出さないのよ!普通そんな事忘れる?」
「ごめんごめん、ちょっとボォッとしててね・・」
そう言って手で頭を掻いて誤魔化そうとしました。それを追求してやろうと思ったのですが、その前に景子がツイと疑問を口に出しました。
「ねぇ、その手どうしたの?包帯なんか巻いちゃってさ。」
その質問に彼の体が一瞬硬直した様に見えたのは私だけだったのでしょうか?それに顔色が真っ青になったような気がしたのも。もしかしたら単なる私の気のせいかも知れませんが。
「あ、ああ、これね。近所の猫に引っ掻かれてね、化膿するとヤバイからこうしてるんだ。どうも猫に嫌われてるみたいだ。」
「あらぁ?友子は大の猫好きよ。そんなことじゃあ嫌われるわよ。」
「いやぁ、実はそれで困ってるんだ。彩ちゃん良い解決方法知らない?」
知るかぁ、そんなもん!要はあんたの問題でしょうが、とは口が裂けても言えませんでしたが、なんぞあったら今度は言うかもしれないなぁとは思いました。
その私の沈黙をどう捕らえたのかは知りませんが、
「まぁいいや。そのうちなんとかなるだろぉーぅうっと。」
そういって席を立ち、折角連れ込んだ食堂から逃げ出してしまいました。後に残された私達2人は、
「何か、やる気なくなったね。」
などともっともらしい理由をつけ、講義を自主休講とし、お茶なんぞを飲んでおりました。
(この状態、コーラだったらまずくて絶対飲めないわね。)
などとぼんやりしていた私は、どこからどう出たのかこう提案しました。
「こんなとこにいたって知れてるし、うちに来る?」
やはり何もやる気が起こっていなかった景子は、一も二もなく賛成したのでした。

 「あれ?」
私の部屋で二人して、途中で買ってきたアップルパイやトルテでお茶にしていた私の頭の中に先程の和広君の話が思い出され、その一部がクエスチョンマークの大群となって、私の思考回路(そんな上等なものかどうかは知らないが)をうめつくしました。
「どしたの?」
そう尋ねた景子に、今頭の中を飛びまわっているものを打ち明けようかどうか迷いましたが、まぁ別に害があるわけじゃなし、という結論に達して、こそっと囁くように言いました。
「うん、じゃあ今ロデムはどうしてるんだろう?って思ったの。」一瞬彼女は何を言われたのかわからなかったらしく、しばらく考え込んでいましたが、どうもさっきの話の続きだと思い到ったらしく、やがてその目の中に理解の色が広がりました。
「ああ、彼女の飼ってた猫?」
「うん、いつもは預けに来るんだけど・・・・・」
彼女の飼っている瞳が緑色の黒猫は、何かのアニメの影響でもあったのでしょうか、”ロデム”という名前でした。そして実家が猫嫌いの彼女は、まさかロデムを一緒に連れて帰る訳にもいかず、いつもは私が預かったりしていました。
「どこに預けられたのかわからないけどさ、あの猫相手にするのって大変よぉ。なんてっても友子の猫好きは定評があるし、わがままに育てられてるから友子以外の人間の言う事なんて絶対にって言ってもいいほど、聞かないもんね。あの猫扱えるの、彼女以外は私くらいだったもん。」
「へぇ、大変なんだ・・・」
そう景子が相槌を打った途端、隣の家からけたたましい悲鳴ともつかぬ何かが聞こえてきました。
「な、何、あれ?」
うろたえる景子を落ち着けながら、私は一切を無視していました。すると景子の方も原因に思いあたったらしく、
「ああ、あれね。」
と言ったきり、声をひそめました。
『あなた一体何こぼしたの?!え?絵具?まったくもう、またクリーニングに出さなきゃならないじゃないの。いい加減にして欲しいわ・・・』
「どうやら今度は絵具らしいね。」
景子が囁くようにして言いました。私は顔をしかめたままコクンと頷き、もう冷めてしまって湯気も立っていないティーカップをくちもとに運びました。
「お隣さんて、なんだったっけ?」
「さぁ、何にしても怪しげな新興宗教だったって事は覚えてるけど、考えたくもないわ。たしか友子もかなりうんざり来てたみたいよ。」
そう、何回も何回も家に勧誘に来てねっっ!という事は言いませんでしたが。
「あたしそろそろ帰るわ。」
「そう?じゃあその辺まで送って行くわ。」
私たちはテーブルの上の片づけもそこそこに、玄関まで行き、家の鍵をキチンと閉めて、エレベーターホールの方へ向かって歩いて行きました。勿論友子の家の前を通って。
と、その時、不意に何かの声が聞こえたような感じがして、私はその場に立ち止まりました。その私の様子に気付いたのでしょう、景子の方も同じ様に立ち止まっていました。
「どうかしたの?」
「ねぇ、何か猫の鳴き声しない?」
私がそう言うと、景子の方も何やら思いたったように、聞き耳を立てていましたが、時間にしてそう、二・三分も経ったでしょうか、じっと耳を澄ましていた彼女は
「うん、今聞こえた。あれってさ、もしかしてロデム?」
「みたい・・・ちょっと自信ないけど・・・」
「もしかしたらさ、友子帰ってきてるのかな?」
「さぁ・・」
(後で和広君に聞いてみましょうかね、友子はいつ頃帰ってくるのか。)

 「あれぇ?なんでこんなとこに黄色いしみが出来てるわけ?」
景子を送って部屋に戻ってみると、カーペットの上に大きな黄色いしみが出来ていました。なんか黄色いものでもこぼしたかしら?ううん、お隣さんみたいに絵具は使ってないし、子どもがいてジュースをこぼしたわけでもないから・・・はて?一体何でまた・・?でも・・・
「いずれにせよクリーニングに出さなきゃならないわけだ、うんうん。でもこれでこの辺一帯みんなカーペットのクリーニングね。これじゃ儲かってしょうがないわけだ、クリーニング屋さんが。」
私はクリーニングに出さなければいけないものを取りまとめはじめました。
「ええと、まずこのカーペットでしょう。あのブラウスにブレザー。それから、あ、そうそう、テーブルクロス。」
でも何がついたんだろ、このテーブルクロスにしろカーペットにしろ・・・緑色のものと黄色いものね、それこそ絵具くらいしかないはずだけど。こんなに頻繁にクリーニングに出されたら、向こうも大変だろうな。そのうち友子んとこも御世話になったりして・・・としたら、彼女の所は何色かしら?うちが黄色と緑、お隣が青、その向こうは紫だったかしら?それでもって反対側のお隣さんはオレンジだったから橙、じゃあその向こうだからそうね・・・並べたら丁度虹みたいだし、赤かしらね。そしたらトマトジュースか。ドラキュラの好物ね。あれ?あれは血だったかな?
その時不意に嫌な予感がしました。そう言えばこの黄色いしみ、人がたに見えない事もないわね。もし友子の部屋にこれと同じ形をした赤いしみが広がっているとしたら・・・。私は頭の中のビジョンを振り切りました。それはあまりにも生々しく、正視出来ない程恐ろしい光景でした。
(明日になれば学校に来るわよ。ロデムが中にいるんだもん。)

 が、その期待が裏切られる事になったのはその日の夜でした。ゴミを夜のうちに出そうと思い部屋を出た私の視界に、黒くて動くものが映りました。それは友子の部屋の中に入ろうとしていました、こっそりと。私の口からついうっかりと大きな声が出てしまいました。
「そこで何やってるの?!」
人影はビクッと一瞬緊張し、ぎこちなく立ち上がりました。その姿は私も知っている人の姿をしていました。
「何だ、和広君じゃない。そうそう、友子帰ってきてるみたいよ、ロデムの鳴き声が聞こえてたから。」
それを聞いた彼の顔が恐怖に歪むのを私は見逃しませんでした。何か恐ろしいものを見るようなその目も。
「ね、何かあったの?友子のとこに遊びにきたんでしょう?大丈夫、内緒にしといてあげるから。」
そう言いましたが、彼は表情をさっきのまま張りつかせて、口をぱくぱくさせているだけでした。ここまでくれば何か変だという事にいやが応でも気が付きます。私は一応助け船を出しました。
「どうしたの、入らないの?こんなとこにつっ立ってたら怪しまれるわよ。どうせ鍵持ってんでしょう。何ならチャイム鳴らしてあげましょうか?」
「俺・・・」
彼はか細い、泣くような声でやっとそれだけ言いました。
「え、何?」
「俺、友子殺しちまった・・・・」
ヘヘヘヘヘ、彼はどこか飛んでしまったらしく、力なく笑いました。笑い続けました。いつまでも、いつまでも。
(俺、友子殺しちまった おれ、ともこころしちまった オレ、トモココロシチマッタ)
その言葉を理解するのに一体どれぐらいかかったでしょうか?すでに目の前の彼は放心状態に陥って、おそらく自分が今何をしているのか理解していなかったでしょう。
「あ、あいつが悪いんだよう。ガキが出来たなんて言い出すから・・・・・下ろせって言ったのに聞かなかったから・・・・・へへへ、悪いな友子、ごねんよ友子、そうさお前が、お前が・・・・クックック・・・・」
その時の彼の姿はみじめそのものでした。ぺこつきバッタって知ってますか?いつも誰かにぺこぺこ頭を下げている、したくもないのにやらされて、そのうち何の抵抗もなく、まるで条件反射のようになってしまう・・・丁度そんな感じでした。でも本人はそれを自覚していないのでしょう、何をやっているのかも含めて。
私はなんか、怒る気力も何も失せてしまって、いいしれぬ脱力感にさいなまれました。でも人間というのは不思議なものですね、そんな状態でもどこかしらはしっかりとしていて、この言葉だけははっきりと私の口をついて現れました。
「お願い、友子の事をかわいそうに思うなら・・今でも、少しでも愛しているなら、自首して・・・お願い、彼女のために・・・」
こんな台詞は景子の為にあるようなものね。二度とこんなの言いたくないわ。どうやらどこかに羞恥心だけは残っていたようでした。
周りが騒がしくなってきました。どうやら騒ぐをききつけた近所の人達が起きだしてきたようでした。

 パトカーがやって来ました。赤いランプを火のように灯して、まるで時代劇に出てくる江戸時代の奉行所の役人みたく、それはたくさん、たくさん。
それにつられて、やじうまもたくさん、たくさん・・・
和広君は一応という事で手錠をかけられ、現場検証に付き合わされる事になりました。が、こう言っていやがり続けました。
「いやだ!行きたくないっ!あそこにはロデムが待ってる・・・・た、頼むよ、俺殺されちまうよ!」
彼は暴れましたが、警官達に抑えこまれ、恐怖に顔を引きつらせながら、部屋の中、彼にとっては見慣れたはずの部屋の中に連れ込まれました。その脅えようは尋常なものではありませんでした。私達はその時に気が付くべきだったのです。彼の手の包帯の意味を。
扉を開けると中は埃臭い匂いと共に、生臭い様な血の匂いがこもっていました。警官達はすぐに中の状態をチェックし始め、無神経にずんずんと土足であがっていきました。そして彼に言われたところへ向かった私達の目の前に、もう固まって黒くなった血が、黄色いカーペットの上に水溜まりの様に染みを形作り、その中心に黒くなってしまった傷口を持ち、青ざめた顔をした友子が倒れていました。
彼女の死体に警官達が近づいた時、さらなる惨劇は起こりました。何か黒いものが私達の視界をスッと横切り、あっと思った次の瞬間、後ろで
「ギャッ!」
という男の人の悲鳴が巻き起こりました。あわてて振り向いたその目の中に、何か鋭い刃物状の物で首筋を切り裂かれ、トマトの様に真っ赤な鮮血を吹いている和広君の姿が映りました。そして彼の首を切った犯人は、体中を真っ赤に染めて、悠々と毛づくろいをしていました。彼女の飼っていた黒猫のロデムが。
彼女はまるで主人の仇を討ったかのように、緑色した瞳を細め、一言
「にゃぁーおぉぉ」
と鳴きました。私の方を向いて、警官達が騒いでいる中を、それは静かに、しずかに、し・ず・か・に・・・・・・・・・・・・・・あくまでも静かに。そう、死んだ主人を弔うかのように・・・
私は彼女を抱き上げました、服が血で汚れるのもかまわず。そして警官達に渡すのを断固として拒否し、外に連れ出しました。そして決心したのです。
私は彼女を、うちで飼う事にしました。今となっては彼女を扱えるのは私だけでしょうから・・・